【実写映画レビュー】画面は綺麗、でも遠い……ヒロインもイマイチ萌えない、行儀のいいゴシックホラー『クリムゾン・ピーク』

 イギリスの寒々しい空気感の描写も見事だ。何もない荒野に、ぽつんとそびえる廃墟のような古屋敷。手入れが行き届いていないため、室内には落ち葉や雪がはらはらと舞い落ち、降り積もっている。耽美の極みだ。

 最も印象的なのは、屋敷のある敷地の土だ。赤粘土のため、うっすら積もった雪の表面に赤みが染みてくる。それはまるで、傷口が開いて血が滲んでいるかのごとく。タイトルの『クリムゾン・ピーク(真紅の丘)』はここから来ている。ことあるごとに画面を覆う白と赤のコントラストは鮮烈で、どのシーンで一時停止しても立派な額縁に収まりそうだ。

 でも、遠い。なんだか遠い映画だ。100メートル先から印象派の絵を眺めているような。アラフォーのニート男性がフェラーリのニューモデルについて熱弁しているような。本作には、そんな遠さを感じる。一言で言えば、ガラスケース入りの他人ごと。『パシフィック・リム』を「うおお、俺たちの映画だ!」と震えた身としては、どうにも我がごとに感じられない。

 1901年が舞台の話に、親近感も何もなかろうというならば、それも一理ある。推古天皇や清少納言に“等身大の女性”として共感できないのと同じように、ただ謙虚に、ことの推移を鑑賞すればいいじゃないかと。

 その“遠さ”に関して別のたとえをするなら、口の悪い『ドラクエ(ドラゴンクエスト)』信者が、『FF(ファイナル・ファンタジー)』シリーズを揶揄する態度に近いのかもしれない。ドラクエ信者、あるいはFFアンチの言葉を借りるなら、『FF』は、特に97年の『Ⅶ』あたりから、プレイヤーは“自動再生CG紙芝居のボタン押し係”になり下がった。

『FF』のリアリズムにあふれたグラフィックは、常にハード性能の限界を引き出してきた。作を追うごとに世界観は複雑に、物語は壮大に膨れ上がっていった。しかし、『FF』は物語が勝手に進んでいく。登場キャラが勝手に考えて勝手に行動する。プレイヤーは「見届ける」だけ。物語に参加はするが、あくまでページをめくる手伝いをする程度。その意味では『ドラクエ』のように、プレイヤーに物語を展開させる権限と主体性が与えられていない。『FF』は物語がプレイヤーから“遠い”のだ(とFFアンチは主張する)。

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