薔薇族の人びと ~波賀九郎編 借金を背負って夜逃げしてホームレスに!

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『薔薇族』2002年1月号

 何年か『薔薇族』の写真を撮り続けてくれて、その後、独立して立て続けにグラフ雑誌を発行し、そのうちビデオの制作に移っていった。

 SMバーを開業して息子さんにやらせていたが、長くは続かなかった。息子さんをぼくが経営していた下北沢のカフェ「イカール館」で使っていたことがあったが、息子の出来は悪かった。

 一番苦労したのは奥さんだったと思う。娘さんが結婚して近所に住み、孫もいたようなので、奥さんにとっては救いになっていたのでは。

 ビデオの消しが薄いということで、取締り当局の摘発を受け、機材を没収された。21日間留置場に拘留されることになったが、高齢であるということで、息子さんが代わりに留置場に入っていた。これは波賀さんにとって、かなりのショックだったようだ。

 2002年の9月24日に、『薔薇族』創刊に力をそそいでくれた間宮浩さんが亡くなり、11月4日に波賀九郎さんが82歳で亡くなられた。

 亡くなられる1年前、『薔薇族』の2002年・1月号に波賀さんにインタビューして若い頃の話を聞いたことがあった。

 大阪で夜逃げした波賀さんが、公演で野宿をしていたときに、助けてくれたオカマちゃんの話には泣かされた。大阪人の優しい人情が伝わってくる良い話だったが、長い話なので紹介しきれないのは残念だ。

 波賀九郎さんは1920年、兵庫県の姫路の近郊で生まれた。小学校3年生のときに父親が亡くなってしまった。母親が頑張って働いてくれて、中学校にも進学させてくれたが、中途退学してしまった。

 その後、満州に渡って農業をやろうと考え満蒙開拓団に入団して海を渡った。ところが波賀さんは農業向きの身体ではなく、どことなく都会的で、ひ弱な感じがしたので、農業には向かないと、満鉄の技術学校に入り、満鉄の社員になって、吉林の配属になった。

 終戦後、昭和23年に日本に帰国して古里に帰り結婚した。波賀さんの古里は木材の産地であり、奥さんの叔父さんが村の有力者で村長を勤め、顔もきくので営林局にかけあってくれて、木材を払い下げてもらうことになった。

 その木材を造船業を営む会社に売りこむことに成功したが、その会社の社長はしたたかな男で、僅かな手付金をくれただけで、後の払いは約束手形。手形が落ちないうちに会社をたたんで社長はドロン。

 たちまち波賀さんは多額の借金を背負ってしまい、耐えられずに奥さんと生まれたばかりの娘さんを実家に帰して、自分は夜逃げしてしまった。

 そうした古里を捨てた人が行きつくところは、大阪の釜ヶ崎、そこで波賀さんはホームレスになってしまう。ホームレスの行きつくねぐらは天王寺公園。

 植えこみの回りにアスファルトの歩道があるが、昼間焼けつくような夏の太陽の光を浴びているから、夜になってもアスファルトの歩道はホカホカとして、その上に寝ると気持ちがいい。そこに職のないホームレスが、ゴロゴロと寝ころんで夜を過ごす。

 波賀さんは30歳を過ぎたばかり。何日かしてホームレス生活もなれてきた頃、天王寺公園の木立ちの下を歩いていたら、ひとりのオカマちゃんに声をかけられた。顔はお白粉でぬりたくられて、夜目でもお世辞にも美しいとは言えない。

 お酒をのんでいるらしくて、ほろよい状態。ベンチに腰をかけて世間話をはじめる。ここからが面白く泣かせる話。続けて書くことに!
(文=伊藤文學)

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