【姫乃たま】『あまちゃん』で3.11を迎え、『この世界の片隅に』で8.6を迎える……生きることに向き合うとはなんなのか

1611_konosekaino.jpg映画『この世界の片隅に』公式サイトより。

 子供の頃、「恵まれた時代に生まれてよかったね」と言われるたびに、憂鬱な気持ちになった。

 それがなくても子供の頃は憂鬱だった。将来にいくらでも可能性があると言われるたび、どんな選択肢があるのか知らないので苛立った。大人が責任を取らなければいけないと注意されるたびに、私が何をしたら誰が責任をとることになって、具体的に何をすれば責任とやらがとれるのかわからなくて不安だった。制限された生活の中で、将来への期待をむやみに寄せられるのは苦痛だった。社会という巨大なものが頭上でもぞもぞと動いていて、子供の頃の私はその世界の片隅で為す術もなく立ちすくんでいるような気がしていた。

 映画『この世界の片隅に』は、主人公のすずが広島へおつかいに出るところから始まる。まだ子供の彼女は、自分の体ほどもある大きな箱を背負って船を降り、壁に寄りかかるように箱を押しつけて、箱を背負うための風呂敷を首元で結い直す。それだけで涙がこぼれた。彼女の姿があまりに生きることに一生懸命だったからだ。

“恵まれた時代”という言葉を、最近とんと聞かなくなった。恵まれた時代に生まれた私達は、日々の選択肢が多すぎて、純粋に生きるためだけの行為から遠ざかりつつある。紛れもなく恵まれた時代に生まれて、普段はそのことを忘れていて、そして恵まれているとはどういうことか、やや見失いつつある。今一度、生きることに真摯に向き合いたい気持ちが、人々がこの映画に惹かれる理由かもしれない。

『この世界の片隅に』は、生きるために生活する人々をひたすらに映し出した作品である。そのための食事や、性や、生きるために必要な行為がきちんと描かれている。家族が死んで、食料も減って、それでも生きていく彼女たちの戦いは、政府や国の戦いと比べて小さいけれど、近づいて見るとひとつひとつが力強くて温かい。

 子供の頃、祖母から「砂糖を舐めるとお腹に蟻がわく」と脅かされた。戦時中で食料不足だった時、祖母は両親からそう言って聞かされていたそうだ。東京大空襲の後、何もなくなった東京からは富士山がすぐ近くに見えて、それがとてもきれいだったという。あの戦争の中で、私の祖母はたしかに生きていたのだ。

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