【実写映画レビュー】いやそんなに気を遣わなくても……優秀な“動画マン”に徹した!?『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』

 たしかに、動画には動画なりの奥深さがある。中割りがうまいアニメでは躍動感あるアクションが拝めるし、下手だとせっかくのカッコいい原画が生かされない。ただ、あらかじめ決まっている動きのスタートとゴールを変える権限は、動画マンに与えられていない。

 動画とは、「存在しているもの(原画)と存在しているもの(原画)の間の空白に、存在していないもの(動画)を存在させる役割」と説明することもできる。ゼロからの創造ではなく、既に存在している手がかりをもとに、「存在しても許される絵」を描く仕事だ。

『フォースの覚醒』もまさにそうだ。既に存在している旧三部作に「許してもらえそうなこと」のてんこ盛りなのである。このあたりが、「土下座」「細心の注意を払って」「機嫌を損ねない」「時間通り運行」の意味するところだ。

 動画の筆遣いに空気を無視したオリジナリティはいらない。動画マンは原画マンに憑依すべし。原画のタッチを忠実に再現し、かつその原画マンが「次に描きそうな絵」を予想して描くのが優秀な動画マンである。

 『フォースの覚醒』の旧三部作に対する憑依スキルは高い。鍵になるアイテムがドロイド(ロボット)に託される、主人公のスタート地点が砂漠、酒場の演奏隊、父親を殺して息子が救済される構図、雪に埋まったライトセイバーをフォースの力で遠隔取り寄せ――これらすべて、旧三部作との共通部分だ。劣化コピー……とまでは言わないが、丁寧かつ律儀に輪郭をなぞり過ぎではなかろうか。「新社長の経営方針、先代社長にかなり気ぃ遣ってんな」的な。

 繰り返すが、ルーカス自ら3本とも監督した新三部作は、熱狂的な旧三部作ファンからはすこぶる評判が悪い。道化に過ぎるジャー・ジャー・ビンクスのせいで世界観がぶち壊しだの、CGばかりで醒めるだの、都会ではなく荒野を舞台にするのが『スター・ウォーズ』の真骨頂だの。

 しかし、そもそも77年に公開された1作目の『スター・ウォーズ/新たなる希望』は、それまで見たこともない映像集にして壮大な実験作だったはずだ。そのルーカスは99年より始まった新三部作で、一旦作り上げたスター・ウォーズ世界をリセットして、自分なりの実験的創意を見せようとした。それが、今となっては時代を感じさせる珍奇なCGキャラクターのオンパレードであろう。しかし、ルーカスは外野の声に屈することなくやり遂げた。

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