【実写映画レビュー】まるで“音のない”音楽、3度の「おあずけ」の末に訪れる快感とは――?『スティーブ・ジョブズ』

 しかも、「ジョブズのプレゼン」という最高に気持ちのいいカタルシスが訪れる直前に、あえて語りを寸止めすることで、観客のジョブズに対する関心度をその都度高めることに成功している。巷で言われるように、女が自分に対する男の興味を失わせないもっとも手っ取り早い方法は、「やらせる直前でやらせないこと」だからだ。

 この「射精直前のおあずけ」を、本作はなんと3度も繰り返す。その結果、観客は全身性感帯のごとき超高感度状態で最終局面に突入し、最後の最後にこの映画の真の構造、真のリズムを知ることになる。悟りの境地に達するのだ。

 境地だのなんだのと、なにやら仏門チックな話だが、若い頃のジョブズが禅に傾倒していたのは有名な話。ジョブズは一時期、カリフォルニア州の禅センターにいた乙川弘文老師に師事していた。のちのアップルデザインに通じるシンプル志向や間(ま)の美学は、ここでの禅体験から培われたとも言われている。

 劇中のとある会話で、人前に一切姿を見せないことで知られるアメリカの作家、J・D・サリンジャーの名が登場する。サリンジャーも禅に相当のめり込んでいたクチ。彼の短編集『ナイン・ストーリーズ』(新潮文庫ほか)の冒頭には、有名な禅の公案(こうあん/悟りを開くための問題)が引用されている。

「両手の鳴る音は知る。片手の鳴る音はいかに?」(野崎孝・訳)

 映画『スティーブ・ジョブズ』は、この公案をそのままフィルム化したような作品だ。音楽をたとえにしながら、「音のない部分」を奏でる物語。それによって、音そのものを聴くよりずっと深く楽曲を味わえる。ジョブズという人間について、強く想いを馳せられる。

 音のない“音楽”映画。だからなのか、なんなのか、3度のイベント前に3度とも登場するジョブズの娘リサは、禅の国・日本のソニーが生んだポータブルオーディオプレーヤー、ウォークマンを持ち歩いている。アップル製のポータブルオーディオプレーヤーといえばもちろんiPodだが、98年で終わるこの物語に、01年発売のiPodは登場しない。

 ところが、だ。本作では最後の最後に「この時代に存在しないはずのiPodの存在を、観客に感じさせる」という奇跡が起きる。存在しない音を聴かせる、これすなわち「片手の鳴る音」というやつではないか!
 最後の最後に公案の答えを理解させる粋な計らい。煩悩に負けることなく、3度も我慢した甲斐があったというものだ。善き哉、善き哉。
文/稲田豊史

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