藤波辰爾が語る「金曜8時のプロレス」と「今のプロレス」 “ドラゴン・リングイン”は計算だった!

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──番組で話題になった「ドラゴン・リングイン(※)」なんですが…。あれはどういう意図があった動きなんでしょうか。

藤波 あれは僕のひらめきなんだけどね。タッグマッチだと、パートナーとタッチしたり技をカットする時にリングに入るわけだけど、普通に出るよりコーナーポストに掛け上がって飛びこんだ方が動きが出るでしょ。テレビカメラで映す時も、その方が画面に動きがある。

※ タッグマッチにおいてリングに入る際に、コーナーポスト最上段から何もせずにリングインする藤波の定番ムーブ。派手な入り方の割りに着地の瞬間を狙われて技を食らってしまうことが多く、やられる場面を集めて番組でネタにされた。

──なるほど…そういう計算があったんですね。

藤波 リング内にいるレスラーと別にコーナー上から飛びこんでくれば、テレビで見てるファンも会場で見てるファンも「おっ!」と思って、そっちにも意識がいくじゃないですか。試合の見方が広がりますよね。

──テレビと共にあった「金曜8時」を経験したからこそ、画面の動きまで意識した「ドラゴン・リングイン」が生まれたんですね。

藤波 僕らはそういう動きを「頭のてっぺんから足の先まで意識しろよ」と猪木さんに言われてきたからね。「パートナーが闘ってるからって、ボーッと見てるんじゃねえぞ」「自分が闘ってるのと同じ気持ちでコーナーにいろよ」と教えられましたね。

──なるほど。試合内容だけじゃなく、どう見えてるかを意識しろと。

藤波 プロレスというのは、技と技の間に動きが止まる時があるんだけど、そこでダラッとしてしまったら、お客さんには休んでいるようにしか見えない。そういう時に指先まで力が入ってるか。休んでいるわけじゃないという見せ方をしないとね。

──テレビだと細かい動きや力の入り方まで分かってしまいますからね。

藤波 そう。止まってる時が一番神経を使わなきゃならない。もちろん、試合中に力を抜く場面はありますよ。でも、それとダラけてるのは違いますからね。

──そういう面で猪木さんのうまいなと思ったところはありますか?

藤波 全てが意表を突きますよね。あの人の動きというのは。当たり前の動きはしない。一番分かりやすいのは、現役時代の猪木さんがリングに上がってる時の指先と、今の選手の指先を見比べてみてください。僕の言ってることが、よく分かりますよ。

──レスラー生活はケガがつきものだと思いますが、藤波選手はもうダメだと思ったような大ケガはありましたか。

藤波 ビッグバン・ベイダーとのシングルマッチで腰を痛めて、椎間板ヘルニアになった時ですね。選手生命が終わったなと思ったのは。

──40年という長い年月、ずっと激闘を続けてきたわけですから、腰以外にも身体にダメージが蓄積されている部分はあるんでしょうね…。

藤波 首もそう。頸椎もそう。膝もそう。医者に言わせれば、「よくこれでリングに立ってますね」という状態だそうですよ。

──このままプロレスを続けたら危ないんじゃないか、って怖くなることはありませんか。

藤波 それを真剣に考え始めたら、もうリングに上がれないですよ。日ごろは怖さを持っていても、リングに上がった時は忘れないとね。ただ、若い頃は勢いでやれたけど、今はそのために一つずつテーマを決めていかないとテンションが続かない。だから、40周年記念大会の次は巌流島があって。相手にせよ、場所にせよ、そういったテーマがあると、自分のやる気を起こさせてくれるよね。

──ジュニア時代のDVDというのも一つのテーマになるんじゃないでしょうか。

藤波 そうだね。ジュニアの頃は締まってたから「この頃はこんな身体してたんだよな」って思って、当時の肉体にどれだけ近付けるかというのも僕のテーマになりましたね。お客さんもDVDを見るわけだから、今の身体を見てガッカリさせるわけにはいかない。当時の肉体そのままというわけにはいかないけど、今度の試合を楽しみにしていてほしいですね。
(取材=佐藤勇馬/Yellow Tear Drops/2012.04.19メンズサイゾー既出)

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藤波辰爾(ふじなみ・たつみ)
大分県出身。1953年12月28日生まれ。
70年6月に16歳で日本プロレスに入門。72年にアントニオ猪木が旗揚げした新日本プロレスに参加。遠征先のアメリカで“プロレスの神様”ことカール・ゴッチに師事し、78年1月にニューヨークのマディソンスクエアガーデンでWWWFジュニア・ヘビー級王座を獲得。同年3月に凱旋帰国し、ジュニア戦線で空前のドラゴンブームを巻き起こした。81年にヘビー級に転向し、IWGPヘビー級王座・タッグ王座などのタイトルを獲得。新日本の社長を務めた後の06年6月に退団し、自身の団体「無我ワールドプロレスリング」を旗揚げ。08年1月より団体名を「ドラディション」に変更。

DRADITION・オフィシャルサイト

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