【日刊サイゾーより】
メキシコスタイルのプロレス「ルチャリブレ」。マスクマンを中心にしたレスラーたちが華麗な飛び技を繰り広げるルチャは、日本でも“仮面貴族”ことミル・マスカラスの活躍によって広く知られることになった。現在は「みちのくプロレス」などがルチャスタイルを取り入れているが、日本のルチャの第一人者として知られるのがウルティモ・ドラゴンだ。
彼はルチャの故郷メキシコと非常に縁が深く、デビューの地もマスクマンに変身した場所もメキシコ。そんな彼が、2012年11月7日に東京・後楽園ホールで「LUCHA FIESTA 2012~ウルティモ・ドラゴンデビュー25周年記念大会~」を開催する。日本やメキシコはもちろん、アメリカのメジャー団体でもトップ選手として活躍してきた彼に、波乱に満ちたレスラー人生やプロレス界の現状について尋ねた。
──ウルティモさんはプロレスラーになった経緯がかなり特殊だと思いますが、レスラーになろうと思ったきっかけはなんだったのでしょうか?
ウルティモ 小学生の時に、アントニオ猪木さんに興味を持ったことですね。でも、初めてプロレスを見たのはジャイアント馬場さんの試合だったんですよ。そのころ、馬場さんの全日本プロレスは土曜日の夜8時に放送していたんですけど、僕たちの小さいころは土曜8時というと『8時だョ!全員集合』(TBS系)を見ないと、翌週の学校の話題についていけなかった。ところが、何かの時にたまたまテレビにプロレスが映ってて「なんだコレ?」って思ったんです。あくまで子どものころの印象ですけど、馬場さんの動きって、そのころは遅くなってたんですよ。「レスラーって本当に強いの?」って思ったのが最初の印象ですね。
──それがなぜプロレスへの憧れに変わったのでしょう?
ウルティモ その次に見たのが、新日本の猪木さんの試合で。ほかにもタイガー・ジェット・シンとかスタン・ハンセンとか、身体の大きい人たちがたくさん出てきて。その時に「これだ!」と思いました。小学校の2年か3年のころですね。それから毎週欠かさず新日本プロレスの放送を見るようになって。あのころは新日本の時代なんですよ。藤波辰爾さんとかタイガーマスクとか、その後に長州力さんとか。
──レスラーを目指したということは、肉体的に自信があったのでしょうか?
ウルティモ まったくないですね。公害病認定患者でしたし、小さいころは身体が弱かったですよ。実は僕、高校を卒業する時に体重が55キロしかなかったんです。今と同じ身長(172センチ)で。だから僕が「プロレスラーになりたい」と言っても、周りはあきれてましたよ。学校の先生なんか「お前なんかレスラーになれるわけない」って。
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