これはオタクこそ観たほうがよいのでは……。

『ディリリとパリの時間旅行』公開直前 ミッシェル・オスロが語る作品への愛。そして苦悩。

 彼が『東京アニメアワードフェスティバル2014』の審査員として招かれた時のことだった。この時、オープニングセレモニーが開催されたのは日本橋三井タワー。会場には、平日の日中にも拘わらず、大勢の人が詰めかけていた。セレモニーのゲストとして招かれた女優の本田翼がレッドカーペットを歩いてくると、詰めかけていた人々からは黄色い声援が飛び容易に止まなかった。

 それに続いて、姿を現したのは高畑勲。そして、オスロであった。それまで、飛んでいた声援。止まないシャッター音は、見事なまでに止んだ。一瞬、騒がしい会場がシーンと静まり帰ったほどだった。

 観客席のほうを見ると、みんな「あれは、誰なのだろう」という顔をしていた。高畑の『かぐや姫の物語』も、オスロの『キリクと魔女』も、そういう受け止められ方をしているのだと、改めて感じたのだった。

 それから数年。どちらが正しいのかはわからない。でも、同じアニメーションの枠の中での分断は、強固に存在し続けている。ならば、この作品をどう読者に伝えて、映画館へと足を運ばせればよいのか……。

「ターゲットを決めて映画をつくるほどボクは賢くないよ……」

 少し考えてからオスロは口を開いた。

 質問は、こうだ……この映画がどんなに面白くても、きっと日本のアニメを好むオタクは見向きもしない。限られたフランス映画や海外のアニメーションを愛好する人だけだろう。それは、オスロの本意ではないのではないか……。

 筆者は「そうした人たちにも、こんな風な映画だと思って観て欲しい」みたいな回答を想定していた。でも、そんな凡庸な答えはなかった。

「今までつくってきた作品というのは、どんな人でも見ることのできる作品をつくってきたつもり。<子供を対象>なんてことも考えたことはない。でも、子供が自分の作品を観ることくらいはわかるから、子供が見て傷つくようなことはしない。たまには、子供向けではない作品もつくりたいとは思うけれど……<君たちは観に来てはだめだ>という作品をつくりたくはないよね……」

 一拍おいてから、さらに言葉は続いた。

「……そう、ぼくは、自分のできる限りのことをしているに過ぎない。ただ、それだけのことなんだけれど、子供から老人まで、男も女もみんなが観に来てくれているのは誇りに思っているよ」

 ふと「子供向けではない作品」という言葉が気に掛かり「あなたにも、性愛やグロテスクを描きたいという欲望があるのか」と尋ねた。少しばかり、苦笑された。

「それはないけど……やっぱり、美しくて快適なものをつくりたいんだ……」

 もう、これだけで質問は十分なような気がした。手元の手帳には用意していた質問やキーワードがいくつもあった。でも、これだけで十分なように思えた。

 おおよそ、作品をつくって世に出すことで糧を得ている人は、常に欲望にまみれている。売れたいとか、儲けたいとか、賞讃されたいとか。どんなに「作品のテーマは……」なんて語っても、そうした欲望の枷からは容易に逃れることはできない。そこから抜け出して、ただ作品をつくることだけに喜びを感じ、それがどう評価されたりも気にならないというステージまで上がることは容易ではない。どんなに、そこにたどり着こうと思っても、その日の米代や家賃。様々な日常の問題が、欲望の枷をより重いものにしていく。

 オスロは、そんな枷に囚われてはならないという強固な意志を持っているように思えた。なんでも当意即妙に語る彼ならば「日本の人にこんな風に観て欲しい〜」というような、お仕着せの言葉をいくらでも思いつくことはできただろう。でも、オスロはそうはしなかった。

 それと同時にオスロは自らを「巨匠」であるとか、なにか自分を大きく見せようという態度がまったくなかった。というのも、前述のような言葉を語りながら、泥臭い作品制作の苦労もニコニコしながら饒舌に語るのだ。

『ディリリとパリの時間旅行』では、アニメーションで描かれる人物を実写背景と合成する手法が用いられている。背景には、ピカソやマティスといった作中に登場する人物の作品も登場する。それは作品を描く上でなくてはならない要素。ところが、ここで一つの問題が。ピカソが死去したのは1973年。マティスは1954年。いまだ著作権は有効なのである。

『ディリリとパリの時間旅行』公開直前 ミッシェル・オスロが語る作品への愛。そして苦悩。の画像4

「ほかは著作権も消滅している人たちばかりだったんだけど、ピカソとマティチスの子孫はタダじゃなかった。非常にお金に興味がある人がいっぱいいるんで、だいぶ払ったよ……」

 実は冒頭の質問から、この会話が飛び出すまで、いくつかの質問を交わしていた。ところが、お金の話になった途端にオスロは急に身を乗り出して饒舌になったのだ。そこには、二つの意味があったのだと思う。

 一つは、作品の内容やテーマとは別にある苦労。もう一つは、そうした「お金に興味がある子孫」という一種、特別な人々への止まない興味。そう、オスロ自身は、アニメーションの手法を用いて架空の物語を描いている。でも、そこには現実の世の動きや人間への尽きない興味がある。それが作品の独特の魅力を生み出しているのだ。

 もう、映画のテーマとかそんなものはいい。ただ、短い取材時間の中でのオスロの人間的な言葉を記せばいい。オタクとかサブカルとか、ハイソとかカテゴライズに寄らず、本当にアニメーションを観ることに情熱を持っているなら、それだけで劇場に足を運びたくなるだろうなと思った。

 取材を終えた後。オスロにこう尋ねられた。

「あなたは、高畑の作品はどのようなカテゴリーに入れればいいと思う?」

 しどろもどろになって、うまく答えられないでいると、オスロは呟いた。

「高畑の作品は後世に残る時間の流れに耐えうる作品。やっぱり、いい仕事は残るんだよ……」

(文=昼間 たかし)

■『ディリリとパリの時間旅行』

8月24日(土)より
YEBISU GARDEN CINEMA・ヒューマントラストシネマ有楽町など
全国で順次ロードショー

2018年製作/94分/G/フランス・ドイツ・ベルギー合作
原題:Dilili a Paris
配給:チャイルド・フィルム

公式サイト
https://child-film.com/dilili/

(C)2018 NORD-OUEST FILMS – STUDIO O – ARTE FRANCE CINEMA – MARS FILMS – WILD BUNCH – MAC GUFF LIGNE – ARTEMIS PRODUCTIONS – SENATOR FILM PRODUKTION

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