「日本のお陰で生き抜くことができた」 ユーリー・ノルシュテイン、秋の京都で高畑勲と自身の来歴を振り返り感謝

 今年はロシアアニメーションの巨匠、ユーリー・ノルシュテイン監督の生誕75周年。それを記念し、12月10日より順次、青山のシアター・イメージフォーラムなどにて特集上映「アニメーションの神様、その美しき世界」が巡回する。本稿では、その一環として11月3日に京都で開催された「ユーリー・ノルシュテイン×高畑勲公開トーク」の一部に触れる。

1611_doshisha1.jpg写真:同志社大学寒梅館正面にて

 会場は同志社大学の寒梅館ハーディーホール。まずノルシュテイン監督の代表作とも言える短編『霧の中のハリネズミ』『話の話』などを上映。ノルシュテイン監督の往年のファンでもある高畑監督が『霧の中のハリネズミ』を初めて見たのは1981年だったという。

「当時は字幕も何もなかったんです。これが非常に大事なことじゃないかと思うんです。字幕がないことを想像しにくいと思うんですけど、あると導いてくれますから安心して見ていられるんですね。字幕がなかったら『ハリネズミはこの後どういった行動をとるんだろうか?』とか緊張感を持つんです。目を凝らして画面の中から読み取ろうとする力が働くんですよ。発見することが物凄く多いんです。それでノルシュテインさんのファンになっちゃったんです」(高畑監督)

1611_doshisha2.jpg写真:自著「話の話-映像詩の世界」(アニメージュ文庫:84年)を掲げる高畑監督

『話の話』の初見は83年だったと語る高畑監督。「これも字幕があったんじゃなくて、その凄さに完全についていけたわけじゃないんですが、知らないうちに衝動に駆られるというか、素敵な作品だけど理解が追いついてないんじゃないかとか、分からないまま推理しながら分かってきたんです」と振り返った。

 日本で紹介されるのは珍しいという砂糖のCMも上映された。ノルシュテイン監督は、そのCMを制作した背景として「当時(91年)、ソビエト連邦が崩壊した後のロシアでは、国の援助がなくなって、家賃やら給料やら全て自分で工面しなければなりませんでした」と述懐。

1611_doshisha3.jpg写真:高畑監督とノルシュテイン監督

「時々『あなたはソ連時代の方が生活できましたか? それとも今の方が生活できますか?』と質問を受けます。私は生きていく上でソ連時代の方が楽でした。私たちの国は資本主義化したんですけども、芸術にとって、アニメーションにとって幸せな時代は去って行きました」(ノルシュテイン監督)

 続けてノルシュテイン監督は、現在ロシアでお金が使われているのはスポーツだと語り、「ソ連崩壊後に私と家族、スタジオとそこで働く人々を救ってくれたのは、日本です。そうした幸運に恵まれたのは私だけかもしれません。日本のお陰で生き抜くことができました。とても良いギャラをいただいて生活し続けています」と感謝していた。

1611_doshisha4.jpg写真:ノルシュテイン監督

 また、ノルシュテイン監督は自国のテレビ局からの依頼で、子ども番組『おやすみなさいこどもたち』のオープニングとエンディングを制作した際、当時、宮﨑駿監督がジブリで買い取ってくれようとしたが、それを知ったテレビ局が高額を提示してきたので諦めたといったエピソードも披露。よく知られている、ノルシュテイン監督とスタジオジブリとの長い付き合いであることを紹介した。

 高畑監督もソ連崩壊について「社会主義が潰えた時に、ものすごく悪口を言われてたわけです。悪口を言われるに値する問題だらけだったと思うんですけど、僕らやその上の世代でもソ連に対する幻想があって、社会保障でも良いところがあったのを忘れてはいけない」と言及。「これから資本主義の中で暮らしている我々がですね、新しい道を探ろうとしているわけです。やっぱりその失敗を含めて、社会主義がどういうものであったのかを学ばなくてはいけない。やっぱり資源は分け合わなくてはいけない」と持論を展開した。

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