薔薇族だった時代 ~銀座のイケメン紳士服店員から送られた驚愕のメールと“はじめてのおつかい”~第6回

ありし日の銀座シネパトス

 「はじめてのおつかい」と聞くと1991年から続いている人気テレビバラエティー番組を誰もが想像すると思う。しかしそうではなくて、私が薔薇族編集部に勤務していた時代に編集長の伊藤文學氏に一度だけ頼まれた「はじめてのおつかい」の話をしよう。

 今は、様変わりして取り壊されてしまったが、東京・銀座の三原橋に三原橋地下街というレトロな異空間があった。そこにはシネパトス( 3つの小さな映画館)や怪しげなポルノショップや飲食店が地下街に並んでいた。表通りから気軽にヌルッと立ち寄れる感じが昭和そのものだったが、2013年に45年の歴史に幕を下ろしてしまった 。

 第二次大戦の終戦当時、三十間掘川(運河)があった場所で、川が埋め立てられることになった。そのとき川に架かっていた三原橋だけが残されることになり、その下を利用して三原橋地下街が誕生したそうだ。もしいままだこの地下街があったら、間違いなく昭和レトロベスト 3に入っただろう。

 取り壊される6年くらい前に私は、三原橋地下街入口前にあった紳士服のチェーン店でスーツを買おうと問い合わせの電話をかけたら、男性店員が若干チャラく、よく言えばフレンド リーな口調の店員だったので、ふざけて「地下街のポルノショップで買い物してから行く」と言った。そうすると「 お客さんエッチな物を買うんですか~?良いですね」と返されたので、さらにふざけて「包茎矯正リングを買うよ」と答えてみたら引くと思いきや、男性店員は「仮性包茎なら必要ないですよ~僕も超被ってますから 」と言ってきたので「嘘臭いなあ」と返すと「本当ですよ~」 と。私が「じゃあアドレス言うから証拠写メ送信してよ~」と言うと、本当にスーツから仮性包茎を出した股間写メを送信してきて驚いた。

 後日、店に行ったらイケメン店員でさらに驚いた。いまはこの紳士服店も無くなってしまったが、その隣に交番があり、近くのビルに三原橋医院があった。その医院の柳沢医師と伊藤文學氏が親しくされていた80年代、エイズの感染が不安だった時代だったが薔薇族に「読者は三原橋医院に行けば安心して検査できる」と文學氏が毎月掲載していて、多くの読者が三原橋医院で検査をしていた。一般の病院での検査が憚られる時代だった。

 柳沢医師が年末の最後の診察を終えた後に、文學氏に「新巻鮭を病院の入口に置いておくの でどなたか取りに来て下さい」と電話をかけてこられて、文學氏から私に「はじめてのおつかい」を頼まれたのだ。医院の扉前に画像のように直球で新巻鮭と印刷された箱が置いてあった。 こんなハデな箱を電車で、東銀座から下北沢までどう持って運んだのか……記憶を呼び起こしたくない気がするが、ある意味、 おいしい「はじめてのおつかい」だったかも知れない。
(文=津田広樹)

【津田広樹プロフィール】
 いわゆる80年代アイドル全盛の時代にスチール撮影のみならず、その多才さを認められてグッズ等の企画発案にまでもマルチな才能を発揮したキャリアをもちながら、あらたなる新天地として当時の有力ゲイ雑誌であった薔薇族の出版会社に編集部員として転身。その後もさらにその非凡なる才能の昇華は衰えを知らず、グラビアや企画ページ等にも幅ひろく手腕をふるい、多くの絶賛を得るまでにおよぶ。そして1996年にはゲイ業界初の試みであった3D写真集付き映像ビデオ、ジャック・リードを発売し世に送り出した。
 さらにオリジナル競パン付きDVDの発売など革新を起こし続けるも、昨年に全ての映像ソフ トのレーベルを手離す。しかし長年にわたり不変的な価値観を持ち続ける津田広樹の世界観は色褪せることのなく、その真価を現在も世に問い続けている。 

●津田広樹Twitter
https://twitter.com/hk8efj4xx3zxkim

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