昭和と平成を駆け抜けた津田広樹の回顧

薔薇族だった時代 ~白い競パンのルーツ~第5回

薔薇族だった時代 ~白い競パンのルーツ~第5回の画像1

 『薔薇族だった時代』を書かせて頂く2カ月程前に、偶然にもTwitterのフォロワー女性が、薔薇族バックナンバーを保管している私設図書館の様な場所に出向き、館長さんに許可を頂いて、私が撮影したカラーグラビア掲載の薔薇族の誌面を撮影して送ってくださいました。私は、その女性に特に何のグラビアとか号数とかをリクエストしていないので、あくまでもその女性の個人的なチョイスで撮影してくださったのですが、ほぼほぼ全ての画像をコラム第1回から5回に使用できているので、その女性の研ぎ澄まされた感性に感謝しています。

 ちなみにその私設図書館の館長さんも「津田広樹さんのグラビアはよく拝見していまし た。ファンの方でしたらどうぞ撮影して下さい」と撮影許可してくださったそうです。ありがたいことです。コラムに対しての画像は絶対にシンクロさせたいと考えてたので、思わぬところで活用できました。

 知人の俳優が「出演した作品の台本は捨てないけど、どこかにしまいこんで行方不明になる」と言っていましたが、私の薔薇族関連の作品ファイルもどこかにしまいこんでしまい、行方不明です(笑)。

 昭和も平成も・・・そして令和も、絶対にゲイの人やマニアの人は競パンを、特に白い競パン を愛している、といつも耳にします。私は約36年前にその事を、薔薇族編集者として気付いてました。なのでこの画像のような白い競 パン(時代が若干早くて海パン記載にしちゃってますが)の文字入りのカラーグラビアを薔薇族に掲載したのだと思います。

薔薇族だった時代 ~白い競パンのルーツ~第5回の画像2

 白い競パンのルーツを書いてしまうと……私が幼かった頃に 当時の水泳部の強豪・広島の尾道高校の競技会用の競パンが、日本で初の純白の競パンでした。 ゲイの人(当時はホモの人)は、TV中継に釘付けだったそうです。現代のように透けない白い生地は存在しない時代でしたから、レース後にプールから上がる選手のお尻はスケスケ(お尻部分は1枚生地)でした。股間は二重になっているようでしたが、水に濡れた直後は透けてしまいます。選手はそれを気にして何度も股間の生地を引っ張り、水を切る仕草をしていました。たまに気にしない選手が映ると、放送事故レベルの透け感でした。ノンケとて、その白い競パンのかっこよさに憧れていた人は多かったと聞きます。 

 当時そんな人のために(?)、個人でも 白い競パンが購入できるメーカーが東京でひとつだけ存在していました。私は先々の撮影を鑑み当時何枚か購入していました。撮影した選手がそれらを欲しがるのでプレゼントしていたのですが、1枚だけデッドストックが出て来ました。新品同様だったので水泳部の 大学生に着用させ撮影したのが、このバックショットです。 あの時代のハラハラドキドキ感が、このコラムと画像から伝われば……それは薔薇族の編集者だった人間として嬉しい限りです。今、薔薇族の編集をしていたら絶対にこのコラム(白い競パンのルーツ )のような内容と画像を掲載すると確信しています。
(文=津田広樹)

【津田広樹プロフィール】
 いわゆる80年代アイドル全盛の時代にスチール撮影のみならず、その多才さを認められてグッズ等の企画発案にまでもマルチな才能を発揮したキャリアをもちながら、あらたなる新天地として当時の有力ゲイ雑誌であった薔薇族の出版会社に編集部員として転身。その後もさらにその非凡なる才能の昇華は衰えを知らず、グラビアや企画ページ等にも幅ひろく手腕をふるい、多くの絶賛を得るまでにおよぶ。そして1996年にはゲイ業界初の試みであった3D写真集付き映像ビデオ、ジャック・リードを発売し世に送り出した。
 さらにオリジナル競パン付きDVDの発売など革新を起こし続けるも、昨年に全ての映像ソフ トのレーベルを手離す。しかし長年にわたり不変的な価値観を持ち続ける津田広樹の世界観は色褪せることのなく、その真価を現在も世に問い続けている。 

●津田広樹Twitter
https://twitter.com/hk8efj4xx3zxkim

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