ビーイング、エイベックスが”荒らした”? タイアップがアニソンにもたらした功と罪

 70年代後半になると、『宇宙戦艦ヤマト』といったアニメファン向け劇場用アニメの出現で、人気アーティストによるアニソンが増え始める。前出の業界関係者は、この背景を「当時の映画業界には『アニメ映画』というカテゴリーが存在せず、実写映画を手がけるプロデューサーがアニメ作品も担当するという構造がありました。加えて、莫大な予算と公開規模に見合った集客力のある有名アーティストを起用する必要性があったのでは」と推測する。

 この時期のアニソンは、アニメの脚本管理などを受け持つ文芸担当スタッフが作詞を、アニメの作曲家がそのまま主題歌の作曲を手がけることも多く、大半がアニメの世界観に寄せた楽曲に仕上がっていた。そのため、有名アーティストの起用についても、「特に批判は見受けられなかった」とアニソンの歴史に詳しい評論家の日下三蔵氏は言う。こうして、アニソンはその裾野を徐々に広げていく。

『宇宙戦艦ヤマト』主題歌のレコード売り上げが200万枚以上を記録する大ヒットになったことなどを受け、80年代には、「アニメの音楽が売り物になる」という認識が音楽業界に定着。結果、ソニーやビクターら、多彩なアーティストを擁するさまざまなレコード会社がアニソンを積極的にリリースするようになった。こうした流れの中で、「テレビアニメでは、80年代前半から、歌謡曲のヒットメーカーがアニメの主題歌を作曲することが多くなりました。この時期が、アニソンのターニングポイントと言えるでしょう」と、水木一郎のバックを支えるコーラスグループ・ザ☆カインズのメンバーで、アニソンに造詣の深い斉藤淳一氏は語る。84年に、新人歌手・鮎川麻弥が歌った『重戦機エルガイム』の主題歌「風のノー・リプライ」は、作詞・売野雅勇、作曲・筒美京平という当時のヒットメーカーが手がけたことで、10万枚弱のスマッシュヒットを記録。同作の成功を受け、その後『機動戦士Zガンダム』の森口博子、『機甲戦記ドラグナー』の山瀬まみなど、デビュー直後のアイドルたちもアニソンを歌うようになっていった。

■90年代ビーイングブームで花盛りとなるタイアップ

 こうして徐々にプロモーションとしての立ち位置を確立してきたアニソンタイアップは、90年代に花盛りを迎える。B’zやZARDなどを擁するビーイングは、ひとつのアニメ番組における音楽を一手に担うことで、そのアニメの主題歌や挿入歌をすべて自社所属のアーティストに歌わせるという戦略を展開。200万枚近くを売り上げた『ちびまる子ちゃん』の「おどるポンポコリン」(B・B・クイーンズ)のヒットを皮切りに、ZARDが『名探偵コナン』とのタイアップを行うなどして、多数のヒット曲を輩出した。90年代当時は、同社所属のTUBEやB’zのブレイクで、ビーイングブームの真っただ中。その一翼を、アニソンが担うという状況となった。

 また、アニプレックスの前身であるSPE・ビジュアルワークス製作の『るろうに剣心』(96年)では、ソニー系アーティストが主題歌を担当。ミリオンセラーとなったJUDY AND MARYの「そばかす」など、アニメの作風に合わない楽曲を次々と起用したことで、アニメファンの間で物議を醸した。主題歌が作品と乖離する傾向にあったこの時代を「悪しきタイアップの時代」と、前出の日下氏は語る。

 そのほか、94年前後には、後のビジュアル系バンドブームに先駆けてL’Arc~en~CielやGLAY、さらに当時、ブレイク前のSMAPやTOKIOなどもアニソンを歌っており、アニソンは、次世代アーティストの売り込みの場として大規模に展開されるようになる。もっともこの時代のタイアップ曲に関して、アニソンとしてヒットしていたのかという点には疑問が残る。当時のCDジャケットなどを見ても、アニメとのタイアップを前面に押し出したデザインでないものも多い【関連記事参照[外部サイト]】。日下氏も、「シャ乱Qの『シングルベッド』など、爆発的にヒットした曲は、アニメとのタイアップがなくともヒットした可能性は高いです。ただ、毎週ゴールデンタイムに歌が流れ、メディアへの露出が増えることで、ヒットの後押しをしたという側面はあると思う」と分析する。

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