「アニメーションってこんなに豊かな世界なんだ!」『つみきのいえ』アカデミー賞作家・加藤久仁生インタビュー【前編】

――今年もアカデミー賞の時期がやってきた。今年は長編アニメーション賞に『かぐや姫の物語』、短編アニメーション賞に日本人の堤大介さんと日系のロバート・コンドウさんが共同監督を務めた『ダム・キーパー』のノミネートが注目を集めている。“日本アニメとアカデミー賞”というと、2002年の長編アニメーションでの『千と千尋の神隠し』受賞、そして2008年に第81回アカデミー賞の短編アニメーション賞を『つみきのいえ』が受賞したことを思い出す人も多いだろう。同作の監督・加藤久仁生さんは、それ以前には04年にDVDが発売された『或る旅人の日記』などで知られていた。アカデミー賞を受賞した際には、作品以外にも色々と逸話が披露されたが、改めて加藤久仁生さんに自身の半生を追ってもらいながら、話を伺ってみた。

■人の縁が現在の自分を形成 受験・恩師・同期生のつながりでロボット入社

1502_katou1.jpgロボットのアニメーションスタジオ・CAGEにて加藤久仁生さん。

 1977年に鹿児島県で生まれた加藤久仁生さん。まずはそのルーツを探ってみたい。『つみきのいえ』でアカデミー賞を受賞した際には、さまざまな少年時代の逸話も明かされていたが、なかでも「学生時代にバンドでドラマーを務めていた」という話に注目が集まっていた。

加藤「高校は全然美術とは関係ない学校で、よくあるバンド活動をしてました。メタルとかハードロックとか。中学時代にビートルズを聴いたときに、『すごくいい!』と思えた瞬間があって。僕は一人っ子なんですが、同級生でお兄ちゃんとかいる人は、ロックの洗礼を受けてていろいろ教えてくれて。『高校に入ったらバンドやろう』っていつも言ってました。青春時代を謳歌してたわけではないけど、演奏しているときは妙な開放感というか、音楽が心の支えになってる部分があったのは良かったです。

 今でも音楽を続けている友達は何人かいて、SOIL&“PIMP”SESSIONSのタブゾンビは一緒のバンドで、彼はボーカルをやっていました。(当時の)自分は音楽を好きでやってたけど、落書きとかチラシを作ったりとか、絵を描くのも好きで、(絵を描くことを)ずっとやっていきたいなって思いがだんだん強くなっていったんだと思います。個人的な趣味で描いてる絵を友達に見せたら評判が良かったので、『これで食べていけたらな』と。でも、ちゃんと絵を勉強してたわけじゃなくて……。『将来どうしようか?』と考えたりする流れで、真面目に絵を勉強してみようかなって。それが高校3年に入ってからですね。

 東京や都市部だと美大受験の予備校があるけど、その頃は鹿児島にはなくて、紹介してもらった小さな絵画教室にデッサンを習いに行きました。それがとっても楽しくて、飯も食わずに描いてられる。先生も『やるなら本腰でやりましょう』と言ってくれて。ただ油絵の先生なので、平面構成などデザインの試験に必要なことは資料を見ながら教えてくれるという感じでした」

 そして受験シーズンに突入。大阪芸術大学の受験では、今の人生を決定づけることになる出会いもあった。

加藤「現役ではあちこち受けましたが、全部落っこちました。学科は受かっても実技が全然ダメで。浪人の夏から上京して予備校に通いました。大阪芸術大学を受けた時に、宿泊施設で相部屋になった北海道、千葉、福岡から来た人たちといろんな話をして。その中の1人が『東京には大きい美術系の予備校があるから、こっち来なよ』って言ってくれて、とりあえず夏の講習だけのつもりで上京しました。そしたらみんなレベルが高くて、『田舎の絵画教室でひとりで描いててもマズイな』ってようやく実感して、(東京に引っ越して)半年通いました。

 でも平面構成は結局よくわからないままでした(笑)。デッサンは好きでどんどん描けるんですが。浪人中は絵ばっかり描いていて、今度は学科を全然勉強しなくて、高校は理系だったんですけど数学の公式も英単語もすっかり忘れてしまって……。東京造形大学、武蔵野美術大学は、なんと学科で落ちちゃいました。『実技を受けれずに、なんのために1年浪人したんだろう』と(笑)。それでも多摩美術大学は学科での足切りがなかったので、なんとか入れたんですけど」

1502_katou2.jpgコニカミノルタプラザ「ヤングクリエイターズ・アニメーション展」(14年開催)にて、左から山田遼志さん、姫田真武さん、ぬQさん、野村辰寿さん。
左3人は片山教授を知る最後の世代で、野村さんは准教授として遺志を継いでいる。

 こうして、加藤さんが多摩美術大学美術学部のグラフィックデザイン学科(以下、グラフ)に入学したのは1997年。学生によるアニメーション制作ブームを生み出した故・片山雅博教授(2011年没)がグラフにやってくるのは、翌98年のことだった。加藤さんは片山2期生となる。片山1期生には、愛媛県松山市PRアニメ『マッツとヤンマとモブリさん』で監督を務める坂本サクさんなどがいる(当時の時代背景などは、同じくグラフ出身の水江未来さんインタビューを参照)。

加藤「1~2年生では、イラストレーションやグラフィックデザインや写真といった、広くいろんなものを基礎的に学ぶ期間でした。2年次には、アニメーションの授業というよりも、“『Director』を使ってみましょう”みたいな、ソフトを覚える授業もあったんですが、(その授業は)半期というよりも(授業内の)1コーナー的な感じでしたね。

 片山先生を初めて見たのは、3年次のガイダンスです。サングラスかけたデッカイ人が『私はここではアニメーターを育てたいわけではありません。クリエイターを育てたいんです!』みたいなことを江戸っ子口調で話してくれて、『なんか面白い人だな!』って思って。“アニメーションを勉強したい”からというよりも、先生の存在に惹かれて授業をとろうと決めました。あとで聞いたらサングラスをかけてたのは、照れ隠しだったらしいですが(笑)。

 片山先生の授業を取ったら取ったで、技術的なことを教えてくれるのかと思ったら、全然そういう授業じゃなくて。『とにかく俺が良いと思った作品をたくさん見せるから、それを観て学べ!』って感じで『ずいぶん乱暴だなぁ』と思ったんですけど……(笑)。でもある種、面白い授業の仕方でした。先生が解説しながら年代順に幅広くいろんな作品を見せてくれて、『アニメーションって、こんなに豊かな世界なんだ!』って。あと山村浩二さん【編注:『頭山』で有名なアニメ作家】とか野村辰寿さん【編注:『ストレイシープ』シリーズなどで知られる映像作家】とか、世に出て活躍されている方々が、片山先生に呼ばれてきて特別授業をしてくれたりもしました。

“イラストレーションやビジュアルデザインをやっていこう”と思ってた人間が“アニメーションをやっている”ってのを今でもどこか引きずっているとこがあるんですが、『自分の描いた絵が動いたらどうなるんだろう?』というのが始まりで。一番最初は、“少年が歩く”動画を描いてみたんですが、絵が動いた時、止まった絵が連続した時に初めて完成する感動は今でも残ってます。

 作品として初めてまとまったのは、クリハラタカシくんと共作した『ROBOTTING』です。2人で分担したので、そこそこ枚数は描きました。卒業制作(『THE APPLE INCIDENT』)の時は、(制作にあたって)枚数を描くというよりは、どちらかというと世界自体を描きたいという感じでやってました」

つみきのいえ (pieces of love Vol.1) [DVD]

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後編で本作についても聞いていきますよ。

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