トキワ荘の思い出に『3月のライオン』秘話まで! 「第18回手塚治虫文化賞」贈呈式レポート

■藤子不二雄(A)×永井豪で語られるトキワ荘の思い出

1405_tezuka_main.jpg藤子不二雄(A)氏と永井豪氏の豪華対談!(撮影/浜田六郎)

 贈呈式終了後は、大賞と特別賞の受賞記念対談が行われた。

 先に壇上に上がったのは、ゴルフ仲間だという藤子不二雄(A)氏と永井豪氏。藤子(A)氏はイスに腰掛けると、永井氏のお祝いの言葉につられて自ら「おめでとうございます!」とコメント。会場を笑いの渦で包み、一瞬で列席者の心を一つにした。それから「手塚先生がいなかったらマンガ家になれていなかった」と感慨深げに語り、トキワ荘の秘話を惜しげもなく披露。そもそも藤子(A)氏と藤子(F)氏がトキワ荘に住むようになったのはどういった経緯があったのか。その疑問に対し、藤子(A)氏は「人気マンガ家の手塚先生に、ただファンレターを出すだけでは読んでもらえない」と考え、藤子・F・不二雄氏とともに手塚氏の肖像画(当時は写真など出回っておらず、手塚氏の描く自画像のイラストをお手本にした)を油絵で描いてファンレターとともに送ったという。その後すぐに手塚氏から返事が来て、そこから文通が始まったそうだ。

 また、トキワ荘へ入る段となった時は3万円の敷金が払えず手塚氏に払ってもらったこと。トキワ荘の若手たち(藤子(A)氏、藤子・F・不二雄氏、赤塚不二夫氏、石ノ森章太郎氏)はみな毎月3千円の家賃が工面できず、“テラさん”こと寺田ヒロオ氏にお金を借りていたことなど楽しげに語った。先輩後輩入り交じって支え合っていた様子に、話し手の永井氏は「僕は『同世代のマンガ家をみんなライバルと思え』と編集者に仕込まれたので、トキワ荘の友情がうらやましいですね」と嘆息。また「幼い頃トキワ荘の近くに住んでいたのに、なんで訪れなかったのかと悔やまれます」と心底悔やしそうな顔をした。

 仕事の取り方に話が及ぶと「手塚先生など売れっ子の先生たちは何本も連載を持っていて、締め切り間近になると編集者に拉致されるんです。そうなるとほかの雑誌は、原稿が落ちることになる。そこでトキワ荘には僕たちのような新人がいっぱいいますから、穴埋めをさせてもらっていました。ギャラも出るし、どんなマンガを描いてもいい。すごくありがたかったですね」と裏話を聞かせた。当時を振り返り「マンガの戦国時代という感じで大変だったけれど、夢があった」という言葉は、「お金はないんだけど、毎日がお祭りみたいでホントに楽しかった」と語るトキワ荘の想い出につながるのだろう。

 最後に「もっと前に手塚治虫文化賞が発足していたら、もっと早く藤子(A)先生に賞を取っていただきたかった」と言う永井氏に対し、藤子(A)氏は「今もらったほうがはるかに嬉しい!」と笑顔を見せて舞台を降りた。これが時代を築き、駆け抜けた人の存在感だろうか。エネルギッシュな対談だった。

3月のライオン 9 (ジェッツコミックス)

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なんでこんなに食べるんだろう、とは思ってた。

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