あれから29年──今も続く「おニャン子クラブ解散記念イベント」参戦レポート

1609_onyannko.jpg会場となった渋谷eggman入り口の看板。

 あの日、私は地元にいて、現場に行けないことを悔しく思っていた。1987年9月20日、おニャン子クラブ解散コンサートの日だ。

 田舎に住んでいた学生にとって、会場となった代々木第一体育館は、物理的にも、金銭的にもあまりに遠かった。その遠い会場での盛り上がりを想像しながら、「今日で終わるんだな」とぼんやり考えていた。

 それから十数年ののち、私は東京に出てきた。そして程なくして、おニャン子クラブが解散コンサートを行った9月20日、毎年ファンが集まってファイナルコンサートのビデオを見るというイベント「おニャン子クラブFINAL LEGEND」が開催されていることを知ったのである。

「ここなら何かが見つかるかもしれない」そんな思いを持ち、初参戦したのは2012年(25周年)のことだった。

 会場は、代々木第一体育館脇のライブハウス「SHIBUYA BOXX」。

 そこで上映された、ファイナルコンサートの映像、それを見ながら集まった多くのファンと一緒に歌い、踊り、声援を送った。その日は、メンバーであった国生さゆり、渡辺美奈代も駆けつけ、実に豪華なイベントとなった。

「こんな場所があったのか」

 私は、25年前に置き忘れた思いを取り戻したような気持ちだった。それからは毎年のように、このイベントに参加し、あの頃の思いに浸るのが恒例となった。

 そして29年目の今年も、同イベントに参加したので、その様子と思いをレポートしたい。

 台風が上陸し、荒れ模様の天候となった今年の9月20日、17過ぎに会場となるライブハウス、渋谷eggmanに到着すると、スクリーンには当時の『夕焼けニャンニャン』(フジテレビ系)の映像などが流され、集まった60人ほどのファンは、思い思いの時間を過ごしていた。

 その映像の時点で、すでに声援を送る者、メンバーの名前の入った法被を着て最前列で開始を待つ者、応援用のホイッスルを鳴らして本番に備える者など。

 私も、フロアのやや後ろにある段差の上に陣取り、本編の開始を待つ。会場の人も少しずつ増えてくる。

 そうして17時30分、本編の上映が始まった。

 1曲目の「ONE NIGHT ONLY」から会場は一気に盛り上がる。全員が立ち上がり、拳を上げてコールが起きる。BメロでのPPPH(「パンパパンヒュー」の略。曲に合わせて手拍子をし、「ヒュー」で右手を上に上げる)も懐かしい。思えば、今でいう「ヲタ芸」的なものは、あの頃、それぐらいしかなかった。

 あの日会場にいた人も、私のように行けなかった人も、これまでの時間を埋めるかのようにひとつになって盛り上がる。繋いでいるのはただひとつ「おニャン子クラブが好き」という気持ちだ。

 前半は、シングル曲や、ファン人気の高い曲を続けざまに披露する。いつしか、スクリーンの中に釘付けとなり、今自分のいるところと、29年前の代々木第一体育館の境目が無くなっていくような錯覚にとらわれていく。

 中盤のソロコーナーはゆうゆこと岩井由紀子の「天使のボディガード」から。あらためて見ると、やっぱり可愛い! そう、私は当時からゆうゆが一推しだったのだ。29年経っても、自分の好みがまったく変わっていないことに、ひそかに苦笑する。

 渡辺満里奈、城之内早苗、高井麻巳子など、卒業生も加わったソロのときには、それぞれのファンがスクリーン前に出て行き、力いっぱいの応援をする。

 オールスタンディングのライブ会場ならではの光景である。

 新田恵利と中島美春の「星座占いで瞳を閉じて」では、ヲタ芸を打つファンが何人かいた。当時はまだそんな文化はなかったはずだが、今目の前で見ていると、違和感なく受け入れられる。それにしても、一体どこで練習してきたのかと不思議に思う。

 途中のMCで、富川春美が「おニャン子クラブは永遠です!」と叫ぶ。それを、時を経たライブ会場で見つめて「この宣言は現実のものになったんだなぁ」と実感する。

 ラストシングルとなった「ウェディングドレス」からはラストスパート。「乙女心の自由型」、名曲「夏休みは終わらない」、そしてバラード「瞳の扉」。

 歌詞にある「とても大事な心の中の思い出に鍵かけて」というフレーズが胸にしみる。

 リアルタイムでおニャン子クラブとともに過ごした時間は、本当に素敵な思い出だった。その思い出は、私たちの心の中に鍵をかけて大切にしまってある。日常の生活に追われ、普段は忘れてしまっていても、辛いことや悲しいことがあったとき、ふとそれを開けてみる。

 その思い出に、慰められたり、励まされたりしながら、生きてきた。

 たぶん、これからもそうして生きていくのだろう。

 このイベントは、そんな人たちがたくさんいることを実感する場でもあったのだ。

 そんなことを思いながら、「じゃあね」「STAGE DOOR」を聞き、本編終了。スクリーンの中と同時にエッグマンにもアンコールが起こる。

 そして、アンコール。

「会員番号の唄」は卒業生も含めた全員の自己紹介ソング。続いて「真っ赤な自転車」「セーラー服を脱がさないで」。全ての公演が終わり、メンバーがステージ奥に消えていくと、ビデオの中も、会場の中もバンザイが起きる。

 何度も見ているはずなのに、やはり感動してしまう。ちょっとした虚脱状態に陥っていると、スクリーンが片付けられ、セットチェンジ。ここからは撮影も録音も禁止となる。

 流れてきたのは「ウェディングドレス」のイントロ。ステージに現れたのは、布川智子と宮野久美子。意外な2人の登場に、客席からも歓声が上がる。

 歌い終わって、2人の近況報告。宮野は名古屋で結婚式の司会などの仕事をしているとのこと。また、布川も同じく名古屋在住で、こちらは料理教室の先生をしている。

 お互い年を重ねてはいるが、相変わらずお美しく、こうして元気でいる姿が見られるのはとても嬉しい。

 2人でもう1曲「お先に失礼」を歌って、ステージ袖へ。

 続いては「蒼いメモリーズ」のイントロに乗せて、内海和子が登場。伸びやかでつやのある歌声は健在で、盛り上がりながらも聞き惚れてしまう。

 それもそのはず、最近歌手として復帰を果たし、ライブも行っているとのこと。「ブログやinstagramもやっているので見てね」と告知した後、「20歳」を歌って退出。

 最後のゲストは、このイベントでは常連の国生さゆり。「夏を待てない」「ノーブルレッドの瞬間」「あの夏のバイク」と、ヒット曲を3連発。大いに会場を湧かせる。

 2011年以降、国生はこのイベントに毎年出演している(会場に来られないときはビデオメッセージで出演)。そしていつも「ありがとう」と言う。「いつまでも忘れないでいてくれてありがとう」と。

 でも、それは私たちのセリフだ。

 解散後29年経っても、私たちファンのことを忘れずにいてくれて、毎年会いに来てくれるタレントなんて、そうそういるもんじゃない。

 そして、今日のゲスト全員が再登場し、もう一度挨拶。ちなみに宮野からは「ゆうゆから皆さんによろしく、とのことです」との伝言が伝えられた。ゆうゆも元気な様子で、私も嬉しい。

 最後は全員で「じゃあね」。今回は4人ものおニャン子を見ることができて大満足であった。

 イベント後、事務局の方が出てきてご挨拶。来年の30周年を機に、いったんイベントは終了予定。そのため、来年は場所や日にちもこれまでと変え、特別な企画になるかもしれないとのこと。

 ちなみにこのイベントは、全てファン有志による自主的なものだ。たった2年半の活動だったにも関わらず、解散後29年経ってもまたファンが集まるというすごさ。一体、当時誰がこのようなことを予想しただろうか。

 誰もが想像しえないことが起こることを「奇跡」と呼ぶなら、おニャン子クラブのブームはまさにそれであったろう。

『夕焼けニャンニャン』が始まって、素人同然の女の子たちが出てきたとき、わずか2年半の後に1万3,000人ものファンの前でコンサートをするなどということを誰が想像しただろうか。

 そして、もうひとつ。

 おニャン子が解散して29年。それだけの年月を重ねてなお、思いを持ったファンが集まり、記念のイベントが続いていることも、誰も想像し得なかったに違いない。この夜、私たちは奇跡の只中にいたのだ。

 そう、おニャン子クラブは終わらない。たとえこのイベントが、来年で最後になったとしても、毎年9月20日には多くの人があの解散の日のことを、そしてそれから30年続いたこのイベントのことを思い出すことだろう。

 もう一度言う。私たちは奇跡の只中にいて、奇跡を目撃していたのだ。

 アイドルと、そのアイドルを思う気持ちは奇跡をも生む。あらためてそれを実感した9月20日の夜だった。
(文=プレヤード)

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