モノブライト出口博之の特撮自由帳(5)

モノブライト出口博之の特撮自由帳(5)語りつくせぬ『シン・ゴジラ』の魅力を、今語る!「俺なりのシン・ゴジラ評」を聞いてくれ!!

1609_gozira01.jpg『シン・ゴジラ』ティザービジュアル

・私たちは『シン・ゴジラ』に何を見たのか
『シン・ゴジラ』を見たとき、えも言われぬ不思議な違和感を感じました。最初はただ単純に頭が見たものを処理できていないだけ、と思っていましたが、これまでゴジラ映画を見ていない人(男性女性問わず)が「すごい怖かった」と同じような感想を述べているのを聞いて、その要因は私が感じた「不思議な違和感」によるものではないか、と思い至りました。

 特撮の醍醐味は「見たこともない世界が見れる」ところ。特撮の世界は荒唐無稽でリアリティがなく世界観に感情移入できない、と特撮に興味のない人には思われてしまう弱点でもあります。特撮に限らず、映像作品や音楽、作品を表現する分野においては「作品の楽しみ方」というガイドライン的なものがあります。映像作品で言えば、「こんな構図見たことない!」とか「こんなカット割り見たことない!」など。これまでの各人の経験値を前提として、その作品のどこが面白いかの判断を無意識的にしています。

『シン・ゴジラ』には実に多くのオマージュが入っています。印象的な『宇宙大戦争』(59年)の曲や、『エヴァンゲリオン』シリーズで使われた劇伴のリメイク曲。劇中の会話は『日本の一番長い一日』(67年)だったり、同作品の監督「岡本喜八」が写真で登場したり、ラストシーンは沢田研二主演の『太陽を盗んだ男』(79年/これは言われて気付いて椅子からすっ転んだ)などなど。他にもオマージュは枚挙にいとまがなく、それだけでも原稿2回分くらいの分量になります。
 好きな人にはたまらない多くのオマージュがありますが、言ってしまえばこのオマージュ群自体は多くの人に刺さる根本の理由ではありません。あくまで、『シン・ゴジラ』(庵野監督)をより深く楽しむための2次的なものです。

 では、これまで特撮を通らず「特撮経験値」がほとんどない一般視聴者(便宜上、一般とします)がシン・ゴジラを面白いと感じたのは何なのか。

 それは、私たちの「目」にあります。
 映像の技術革新はめざましく、4K、8Kといった超高精細な映像技術が確立され、日本人のほとんどがもっているスマホにも高精細カメラが内蔵されるなど、私たちは「高精細な映像」に触れる機会が増えています。しかしその4Kテレビで何が放送されているかというと、お世辞にも高精細とは言えないガビガビのYouTubeなどネット映像に頼った、ニュース番組(災害時や事故など)やおもしろ映像番組が多い現状です。 
 いわゆる「撮って出し」と呼ばれる映像ですが、その強みは「映像の速報性」にあります。それが良い悪い、ということではなく、私たちの周りでは「映像規格のチャンポン」が日常的に行われていて、私たちはいつの間にかそれに違和感を感じなくなっているのです。もっと言うと、今は映像のチャンポンが当たり前なのです。

『シン・ゴジラ』に感じた「えも言われぬ違和感」と、それが面白さに繋がる要因は、映画らしくない「映像のチャンポン」にあると思います。

「デカい尻尾が出てきた。変な生き物が上陸した」、冷静に考えると荒唐無稽も甚だしいですが、普段ニュースなどで見慣れた映像が矢継ぎ早に切り替わり、あたかも「実際にニュースを見ている錯覚」に陥り、荒唐無稽が一瞬にしてリアリティ溢れる映像になる。

 各人の経験値や趣味嗜好が大きく関わる特撮において、特撮やそれに付随する作品の文脈ではなく誰もがもつ「普段の生活」での経験値を組み込む方法は「平成ガメラシリーズ」などでも見られますが、「映像そのもの」という点はこれまでなかったように思います。そう考えると、iPhoneをはじめとするスマホのカメラの功績は、私たちの映像体験を「より高み」ではなく「より身近に」し、既成概念を根本から書き換えた、とも言えるかも知れません。

 これが、一般視聴者が『シン・ゴジラ』を一つのエンターテインメントとして「すごい怖かった」と感じた要因であると考えています。

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