モノブライト出口博之の特撮自由帳(5)

モノブライト出口博之の特撮自由帳(5)語りつくせぬ『シン・ゴジラ』の魅力を、今語る!「俺なりのシン・ゴジラ評」を聞いてくれ!!

1609_metiisai.jpg特報映像より。たしかに目は小さめ

 私も観賞後は「俺なりのシン・ゴジラ評」を書かなければ、と思いながらも書けずにいました。そんな最中、マンガ家・島本和彦先生の呼びかけで実現した「シン・ゴジラ発声可能上映」において、島本先生の「庵野ー! それ以上はやめろー!!!」という心の叫び(大賞賛に値する)を見て、なんだかもの凄く腑に落ちたというか、浄化された感じがしました。ここに答えがあったと。

 俺たちと同じ(敢えて同じと括ります)特撮好きの庵野監督が「日本特撮界のサンクチュアリ」とも言えるゴジラを作ってしまった。俺たちは一体、どの立ち位置で庵野ゴジラを見れば良いのか……期待なのか、叩きたいのか、認めたいのか認めたくないか。『シン・ゴジラ』を見たあとに文章を書いても書いても距離感を掴みあぐねていましたが、島本先生の魂の叫び(大絶賛)でようやく「良い距離感」に気付けました。まさに泉政調副会長よろしく「まずは君が落ち着け」と差し出される飲料水のごとく。『シン・ゴジラ』を見て、すごく楽しくてうれしかったんだ、俺。もしかすると構え過ぎていたのは、私たちの方かも知れません。と、ここまで「俺とシン・ゴジラの微妙な関係」をしたためました。

 いきなり本題に入っても良かったのですが、それだと気持ちに決着がつかなかったのでお付き合い頂きました。
 さて、ここからが本題。「俺なりのシン・ゴジラ評」に移りたいと思います。評と書くとあれですが、いわゆる「俺はここが面白いと感じたぞ!」的な読書感想文的なものになっています。多少のネタバレを含みますので、ご了承ください。

・怪獣の「目」と人間の「目」
 知っているけど知らないゴジラ、これが最初に『シン・ゴジラ』版ゴジラ(以降「シンゴジラ」)のビジュアルを見た時の印象でした。焼けただれた皮膚を表現したゴツゴツした身体、噛み合わせの悪い乱杭(らんぐい)歯、大きな口はオリジナルである『ゴジラ』(以後『1954ゴジラ』とします)を踏襲した、どこか見覚えのある、紛う事なきゴジラ。しかし、相貌からは何故か恐怖と言うか狂気が漂ってきます。その要因は極端に小さい「目」です。この目は人間の目をモデルにしていて、庵野監督いわく「人間の目が一番恐ろしい」とのこと。

 怪獣というのは大別して「生物」か「非生物」の2種類に分けられます。ゴジラをこの怪獣分類で分けると間違いなく「生物」タイプの怪獣になります。生物である以上「地球で生きるための器官の集合体」であり、それらは怪獣(種族とも言える)ごとに異なった進化、変化を経て、それぞれの生活環境に適応して暮らしています。
 ここで怪獣の歴史を遡ってみると、例えば『ウルトラマン』に登場する地球に生息している怪獣はどれも生物然としています。よくわからん怪獣(ブルトンなど)は自然の摂理から逸脱しているため、生物ではないと言えます。

 ここで改めて「シンゴジラ」の「目」に注目してみると、目の器官として「瞳」がある怪獣は宇宙由来の怪獣(宇宙人タイプ)にも多く存在します。彼らには目という器官に「ものを見る」だけではない違った意味が与えられています。例えばウルトラセブンの物語の骨子に「宇宙人から侵略される地球」というものがあります。地球を侵略してくる宇宙人は程度の差こそあれど、一様に事前交渉の段階があり、武力行使の前に人間と対話を求めてくるのです(宇宙人の交渉はセブン以外の作品でも多く見られます)。

 目は口ほどにものを言う、ということわざ通り、目(瞳)の有無は潜在的に「こいつと対話できるのか・こいつの気持ちが理解できるか」という判断材料になっています。私たちは怪獣の目(瞳とそれに相当する部位)から表情を読み取り、彼らの気持ちを汲もうとします。生物同士のコミュニケーションの基本は「目を合わせること」であり、同種族であれば目を合わせるだけで容易にある程度の意思疎通できるものです。
 だから、「シンゴジラ」は恐ろしいのです。

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