【モノブライト出口博之の特撮自由帳(11)】

大槻ケンヂ×モノブライト・出口博之、世界進出を目指して(!?)改めて“特撮”を語る!

1707_deguchi00.jpg撮影:松沢雅彦

 モノブライト・出口博之が特撮作品への愛を暑苦しく語る【モノブライト出口博之の特撮自由帳】。ご愛読いただいてきましたが、なんと今回が最終回です……。

 フィナーレを飾るべく、今回もスペシャルなゲストを迎えての対談スペシャルを敢行!
 お越しいただいたのは、ロックバンド「筋肉少女帯」「特撮」のボーカリストであり、作詞家、小説家、エッセイストでもある“オーケン”こと大槻ケンヂさん!

 ロッカー、クリエーターとしてももちろん、特撮好きとしても知られる大槻さんは、アーティストであり、最近は特撮マニアとしての活動も増えてきた出口にとっては憧れの人だとか。

 開始直後は少し緊張気味な様子でしたが、語る内容が特撮とあって中盤からは滑らかに回り始めた、熱い特撮トークをたっぷりとお届けします。

■「何じゃこりゃ!」『ライダー』『キカイダー』との衝撃的な出会い

出口博之(以下、「出口」) 一応最終回を記念して……僕の趣味・嗜好がほぼほぼ大槻さんの影響下にあったもんですから、ぜひこの場でお話しておきたいなと思いまして、今日は大先輩に来ていただきました。特撮ってこういう見方をすれば面白いよ、こういう切り口もあるよ、というところを、今日は改めて2人でお話できればと思っています。

大槻ケンヂ(以下、「大槻」) ああ、なるほど。でも年代によって、特撮好きといってもあまりに違いが……たとえば最初の『ゴジラ』(1954年)と、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』(14年)とでは、同じ特撮といってもあまりに違う。何をもって「特撮」というのかいうと……

出口 あまりに違いがありますよね(笑)。大槻さんは今年で51歳でしたっけ?

大槻 そう、66年生まれ。最初に見た特撮というと……『ウルトラマン』(66~67年)、『ウルトラセブン』(67~68年)は後追い、再放送で見て。あと再放送だと、『高速エスパー』(67~68年)、『キャプテンウルトラ』(67年)、あと『闘え!マイティジャック』(68年)なんかはよく再放送していたかな。

 でも、昔はチャンネル数も、番組数も少なく、そもそも子どもにあまりテレビを見せてもらえなかったから、そういうものを見れるときというのは、どれだけうれしかったことか。「あ、今日はこの特撮ものをたまたま見れた!」「巡りあえた!」という瞬間のうれしさ。あれは今の若者には、なんていっちゃうけど、なかなかわからないだろうなと思っちゃうな。

出口 継続して見れるものでなくて、一期一会というか。

大槻 習慣的に見れるようになったのは、『仮面ライダー』(71~74年)ですよ。4歳のころだけど、第1回目を今でも覚えているね。というのもレコード屋さんにシングル盤が放送前から置いてあって。バッタの化け物みたいなマスクを見た瞬間に、電流が走ったように「ああ!」と思って、親にねだって買ってもらったの。「これは何かヤバイから!」って言って。

出口 4歳の少年が(笑)。

大槻 そう、これはヤバイと。んで、始まる前から『ライダー』を聞いていたわけだけど、始まって1話目を見たときの衝撃は……やばかったですね。あれがダイレクトで最初に見た特撮かな。映画は別にして。

 それから『帰ってきたウルトラマン』(71~72年)が始まったんだけど、『セブン』のダークネスな感じに痺れていたので。いや、『帰ってきたウルトラマン』も今見返すと相当なものなんだけど、それでも「ちょっと違うな」と思って。

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