水江未来は世界3大映画祭を目指す  国際映画祭デビュー10周年!インタビュー【後編】

1410_mizue_devourdinner.jpg『Devour Dinner』より。

 大学院を出てから初めて制作したのは『Devour Dinner』である。こちらはニフティが運営していたショートムービー発掘サイト「NeoM rePublic」内のコーナーで、各週金曜日に1作10秒程度を連作で公開していた。仕事としての制作物でも、自身の作風を活かした作品は映画祭へ応募した。

水江「『Devour Dinner』は07年8月くらいから作り始めて、半年後のアヌシーの応募締切に間に合わせるスケジュールで制作しました。仕事をしながらアニメーション作品を作っていくので、その後に制作した『JAM』は、1年間の中で制作期間は実質正味4カ月くらいでした。

 自主的なオリジナル作品もあれば、半分仕事が絡んでるのもあります。『Metropolis』(09年制作)はSICAF(ソウル国際マンガアニメーションフェスティバル)のオープニング作品として映画祭から制作資金をもらって作りました。『AND AND』(11年制作)はMVですけど、結構やりたい放題に自由に作らせてもらいました。自由度の利く仕事はこちらで著作権を持てたりするので、仕事をうまく作品化することもできるんですよね。その分、予算は少ないんですが、最初は自分のプロモーションだと考えて、仕事が作品としても機能すれば映画祭にも出せますし」

■ハイペースで作品を作る覚悟 CALFの設立

1410_jam.jpg『JAM』より。

 何と言っても水江さんの強みは、新作リリースのスパンが短いところにある。アニメーション作家として生きていく覚悟を決めた人でも、ここまでハイペースでオリジナルを作り続けられる人は稀だ。

水江「大学院を出てから5年くらいは、常に作品を作って発表している状態にしようと決意していました。他の作家と比べて制作が早いのは、(描く対象が)抽象だからじゃないですかね。そのままダイレクトに作画に入っちゃうってのがあるので。(アニメーション作家の)相原信洋さんが(何かの雑誌で)書いてたのを見たことがあるんですが、05年8月の次の作品が同年10月とか、月単位で……『そんなペースで作ってるのか!』って。やっぱり1作品でグランプリを獲って、過去10年、20年、忘れられない強い作品を作るのは難しい。それならば自分の戦略は、とにかく作品数を増やして、作りながらだんだん自分の中でステップアップしていくように創作を続けていこう。気持ちとしては40歳くらいになった時に、『自分は作家としてどういう作品を作れているか』と目標点を決めて、そこに合わせてピークに持っていけるようにちょっとずつ登っていくというか。とにかく、やめることさえしなければ何かになれるのではないかと」

 大学院を出てから4年目の10年、ついにアヌシーのコンペティションにノミネートされた。同年にはCALFも設立。CALFは先述の大山慶さんや和田淳さん、そして評論家の土居伸彰さんとによるインディペンデントレーベルからスタートし、現在はスタジオでの受注制作や作品配給なども行っている(水江さん、和田さん、土居さんは、現在はCALFとは外部としての関わりになっている)。

水江「CALFを始めたのは(アヌシーの)コンペティションに初めてノミネートされた時と同じ10年ですね。アヌシーとオタワ(のノミネート作)は『PLAYGROUND』ですが、(長編と短編を隔年で審査する)ザグレブと広島は『JAM』でした。同一作品で4大アニメーションフェスティバルのコンペティションにノミネートされたってのはないです。今回、(アヌシーとザグレブとオタワでもノミネートされた)『WONDER』がチャンスだったんですけど、広島で逃しちゃったから」

 このほかドイツのシュトゥットガルト国際アニメーションフェスティバルがそれらに次ぐ要となっており、最近では水尻自子さんの『布団』が4大アニメーションフェスティバルとシュトゥットガルト、全てのコンペティションにノミネートされた。そのうち広島フェスでは第14回(12年)に木下蓮三賞を受賞している。

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