誰も語らないパチンコの中のアニメ 第4回

原作の再現を試みた『CRめぞん一刻』…ドラマ性を追求したパチンコがヒットを生めない理由とは?

 04年の内規改正以降、パチンコはこの確変突入率の向上が可能になり、より連チャンしやすい台が量産されていくことになった。具体的にいえば、一律50%だった確変突入率が、現在では60%から80%前後になっている。50%では心許なかったが、70~80%ともなれば、10連チャン、20連チャンも起こりやすくなる。これは言い換えれば、10回、20回の連続演出を想定可能になったということでもある。

 その結果、連チャン中の連続演出という発想が現実になった。『CRヤッターマン 天才ドロンボー只今参上!』は1つのアニメーションを20回に分け、20連チャンで完結する方式を採用。初代『CRめぞん一刻』なら、ヒロイン・音無響子が一刻館にやってくる第1話からシークレットエピソードまで入れて、全10話として物語が再現される。『CRめぞん一刻』に関しては、アニメ版と楽曲や一部声優に変更が加えられているが、それを差し引いても非常に感動的で、個人的にはラストエピソードまでたどり着いたときには思わず涙ぐんでしまった(五代くんの墓参り……!)。パチンコシリーズ第2作で「愛の骨格」のエピソードが入ったときは本当に嬉しかった。使用楽曲の「SEASONS」や「永遠と呼べるなら」も、早急にiTunesで配信していただきたい。

 だが、このドラマチック路線は、結果的にあまり流行らなかった。失敗したというわけではない。実際、連チャンと物語を結びつける演出は今も定番的発想といっていい。だが、不思議とこの演出とともに歴史的ヒットを記録した台というのが思い浮かばないのだ。連チャンタイプの台は、むしろ『北斗の拳』シリーズのようにバトルゲーム的演出を採用したものがトレンドをつくっていったといえる。

「おそらく」という推論に過ぎないが、パチンコという遊戯は、原理だけでなく、本質的魅力においても物語と相性がよくないのだ。物語は、一度始まりからエンディングまで見てしまえば満足してしまう。二度と見返さなくていいという気持ちになるわけではないが、いったん達成感を得られてしまい、すぐさまもう1度追体験したいという気持ちにはなりにくい。パチンコは繰り返しの遊戯であり、当然ながら「クリア」という概念が存在しない。パチンコの世界に物語を持ち込むということは、終わってはならない遊戯の世界に、“終わり”を導入することを意味している。ドラマとパチンコは、こうして原理と特性の両面で矛盾をはらんでいるのだ。

 だが、それでもパチンコは物語を求め続けた。その結実が『CRルパン三世 ~消されたルパン~』だと思う。
【次回に続く】
(文/小林聖)

原作の再現を試みた『CRめぞん一刻』…ドラマ性を追求したパチンコがヒットを生めない理由とは?のページです。おたぽるは、人気連載アニメ連載の最新ニュースをファンにいち早くお届けします。オタクに“なるほど”面白いおたぽる!

- -

人気記事ランキング

XLサイズ……
XLサイズって想像できないだけど!!