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【新連載】"アニメ”と”歴史”を創るアニメスタジオ【第1回/前編】

経営主導主義が作家性を育んだ!日本のロボットアニメを牽引したサンライズの歴史

 ちなみにこの時期のサンライズは、業界一のギャランティの安さだったそうだ。『ザンボット3』を監督した富野曰く、「日本サンライズはスタッフを社員として雇うだけの力はないから、ほかで稼いでくれるならやってくれ」ということで、ほかのプロダクションの仕事を請けながら制作していたという。

 このような制作体制であったため、当時のサンライズ作品は作画クオリティも決して高いとはいえず、業界内では「アマチュアのサンライズ」と揶揄されるほどであった。と同時に、吉井孝幸は「貧しくとも異様なエネルギーがあった時代」とこの時代を回顧する。そのほとばしるパワーが、この後に大フィーバーを巻き起こすわけである。

■ロボットアニメブームとともに大躍進~1980年代前半

・キータイトル……『機動戦士ガンダム』(歴史的ヒット作)
         『太陽の牙ダグラム』(ロボットアニメ史上最長の放送話数)
・キーパーソン……富野由悠季高橋良輔
         (リアル系ロボットアニメブームの立役者)
・キーワード……2・22アニメ新世紀宣言大会

 日本サンライズ初期の作品は、前述の富野作品が大きな存在感を放っていた。同監督が手掛けたロボットアニメ『無敵超人ザンボット3』『無敵鋼人ダイターン3』の2タイトルは、視聴率的には特筆すべき点はなかったものの、玩具がヒットしたことで商業的には成功を収めた。また本作は、従来の児童向けロボットアニメの体裁をとりつつも、内容的にはハイティーン層の視聴にも耐えうる強度を持った作品であり、一部アニメファンの間でも話題を呼んだ。

 この実績を元に、今度は中高生以上向けに若干対象年齢を引き上げた意欲作『機動戦士ガンダム』の放送が1979年よりスタート。本放送時は視聴率の低迷と玩具の売り上げ不振から打ち切りの憂き目にあったものの、リアルな戦場を描いた本作は再放送を繰り返すうちにハイティーン層に大ヒットすることとなった。

 当時の「ガンダムフィーバー」を象徴するイベントとして「2・22アニメ新世紀宣言大会」を忘れてはならない。ガンダム人気を受けてサンライズ初の劇場用作品として制作された『機動戦士ガンダム』第1作公開に向けての宣伝イベント「2・22アニメ新世紀宣言大会」が、1981年2月22日、新宿駅東口のアルタ前広場にて開催され、およそ1万5000人のアニメファンが集結したのだ。

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