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【新連載】"アニメ”と”歴史”を創るアニメスタジオ【第1回/前編】

経営主導主義が作家性を育んだ!日本のロボットアニメを牽引したサンライズの歴史

■虫プロの反省からスタートしたサンライズ~創成期

・キータイトル……『ハゼドン』
         (記念すべきサンライズスタジオ、初制作作品)
         『無敵超人ザンボット3』
         (初自社企画作品)
・キーパーソン……岸本吉功伊藤昌典山浦栄二
         (サンライズを黎明期から支えた歴代社長)
・キーワード……虫プロからの独立。手塚治虫を反面教師に。

 サンライズの前身である有限会社サンライズスタジオが発足したのは、1972年9月のこと。設立メンバーは、初代社長である岸本吉功、二代目の伊藤昌典、三代目の山浦栄二、岩崎正美、渋江靖夫、沼本清海、米山安彦の七人。全員、手塚治虫が設立した株式会社虫プロダクション(通称・旧虫プロ。1977年に設立された虫プロダクション株式会社とは別)の制作・営業部門に所属し、いずれも中間管理職を経験したスタッフであった。

 当時、旧虫プロはマンガ家でもありアニメーターでもあった手塚治虫の下、「アニメーターにあらずんば、人にあらず」という作家至上主義的な方針でテレビアニメを制作していた。スケジュールがどんなに切迫した状況だろうと、シナリオや絵コンテに手塚自身のチェックが入り、ときにはこっそりとスタジオに出入りして手塚自身が作画作業も行っていたと言われている。つまり「自分の作品のアニメなんだから、自分の手を加えたい」という作家としての本能、もしくは欲望、エゴが優先されがちな環境にあったそうだ。

 しかし、それゆえに制作スケジュールは往々にして破たんし、納品が間に合わず放送済みエピソードの再放送やありあわせの素材のパッチワークで新たなエピソードを作り上げるという、常識では考えられない状況が発生。

 そのほか、労働争議の表面化やほかのアニメ制作スタジオが出現し始めたことによって、仕事受注量の減少などから徐々に経営が圧迫され、経営が悪化。どんどん累積赤字が増えていった。

 サンライズスタジオ起ち上げメンバーは、こういった作家至上主義の問題点を反面教師として、健全な経営を目標に「クリエイターが経営に参加してはならない」「TVアニメは作品である前に商品である」「玩具メーカーの手先と言われようと、できることをやる」というポリシーを確立。現在に至るまで、制作進行以外のスタッフはすべて外注スタッフというスタンスは変わっていない。

 この作家性を営業に反映させない同社のスタンスは、結果的にクリエイターに作家性を発揮しやすい制作環境を生み出すことに寄与した。

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