昭和と平成を駆け抜けた津田広樹の回顧

薔薇族だった時代 ~今もライフガードを撮り続けて 第48回

薔薇族だった時代 ~今もライフガードを撮り続けて 第48回の画像1ラッシュガード

 薔薇族に私が撮影したスポーツマンのカラーグラビアが、掲載されるまでは、「白や赤の褌青年のイメージ」が、薔薇族だった。

 しかし、私が水泳選手などの若いスポーツマンをセレクトし、グラビアのタイトル決めや、タイトル文字の字体、レイアウトに至るまでこだわり若者読書を集客できて、「若者の薔薇族」に変わった。

 辛口指導の藤田竜さんから「カラーグラビアは津田君に任せるから」と言われ伊藤文學編集長からも「今月も良い写真だね、モデルも評判良いよ」と言って頂けて闘志が湧いていた。

 そんな勢いに乗っていた私に撮影して欲しいとリクエストの手紙が薔薇族編集部に届いた。内容はライフガードの競技会だった。まだ平成になる6年ほど前だったので、競技会は真夏の朝5時にスタートし、2時間程で終了。ライフガードたちは、朝8時からの監視勤務に移動する時代だった。

 平成になり、別の大きなライフセービングの団体が立ち上がり、競技種目も増えた。ライフガード又はライフセーバーの知名度も上がり、テレビドラマの題材にもなっていった。

 そして毎年、夏の監視業務が終わった9月に大学生の競技会(インカレ)が開催され、10月に大学生に加えて社会人(ライフセーバーOB)も出場できる、全日本大会が開催されるようになった。その毎年の締めくくり的な全日本競技会で、ファイナリストだけが支給され、決勝で着用できる名誉なラッシュガードがライフセーバーの誇りになっている。

 私が薔薇族を離れても、ライフセーバーの後輩の写真や競技の練習映像を撮影して応援していた選手が、見事ファイナリストになり高記録を出して嬉しかった。 そして「応援して下さったお礼に」とファイナリストの名誉なラッシュガードを私にくれたのだ。私はそれを、男性のボディ(マネキンの首から下)ハンガーに着せて部屋のオブジェにしている。

 このオブジェの写真を伊藤文學さんに見せたら「薔薇族が発売されていた時代だったら、藤田君は絶対にその写真を掲載しただろうね」 と言っていただけた。

 私が薔薇族カラーグラビアを任されていた時に、全身全霊で撮り続けた他に類をみないスポーツマン画像を「津田広樹写真集・限定電子版」にしてシリーズ化している。珠玉の作品ばかりなので、下記の 津田・・・から始まるTwitterアカウントをクリックしてぜひとも見て頂きたい。

【津田広樹プロフィール】  いわゆる80年代アイドル全盛の時代にスチール撮影のみならず、その多才さを認められてグッズ等の企画発案にまでもマルチな才能を発揮したキャリアをもちながら、あらたなる新天地として当時の有力ゲイ雑誌であった薔薇族の出版会社に編集部員として転身。その後もさらにその非凡なる才能の昇華は衰えを知らず、グラビアや企画ページ等にも幅ひろく手腕をふるい、多くの絶賛を得るまでにおよぶ。そして1996年にはゲイ業界初の試みであった3D写真集付き映像ビデオ、ジャック・リードを発売し世に送り出した。  さらにオリジナル競パン付きDVDの発売など革新を起こし続けるも、無断配信に苛まれ、昨年に全ての映像ソフトのレーベルを手離す。しかし長年ににわたり不変的な価値観を持ち続ける津田広樹の世界観は色褪せることのなく、その真価を現在も世に問い続けている。

津田広樹Twitter
@Wi08XKZE10Vb5rx

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