お願いだから孔雀と阿修羅を会わせてあげて! 追悼・荻野真『孔雀王 戦国転生』最終回まで描いていたことに涙

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『孔雀王ライジング』(小学館)9巻

 漫画家の荻野真さんが4月29日に腎不全のため死去した。代表作である『孔雀王』で世に臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前の九字をはじめ神仏の名前や知識を広めた荻野さん。その死去の報と共に読者はこう思ったはずだ。「孔雀と阿修羅はどうなっちゃうの……?」。

 荻野さん本人は自身のサイトや単行本の後書きなどで折にふれて『孔雀王』じゃないものも描きたいと記していたが、編集者や読者が求めているのは常に『孔雀王』であった。実写版も含めて懐かしさを感じる人が多いであろう『孔雀王』であるが、決して完結した過去の作品ではなかった。

『孔雀王』が1989年に完結した後に、1990年から荻野は新たに『孔雀王 退魔聖伝』の連載を開始。だが、物語は天津神との戦いで裏高野が壊滅したりヒロイン・阿修羅が囚われの身になり仲間がちりぢりになったところで一旦中断。その後、長らく再開されなかった。

 それが2006年になり『孔雀王 曲神紀』としてようやく再開。前作から4年あまり後の設定で、天津神と国津神の戦いの結末が描かれる……ハズだったのだが、ラスボスであるイザナギとの戦いの最中に尻切れトンボのように終了。これは本人も不本意だったのか、後書きには「あと一巻でパーフェクトだったんだけどなぁ……」の一言を残している。

 実に荻野さんの漫画家人生は出世作である『孔雀王』を乗り越えるための苦闘だったように見える。『孔雀王』の魅力は熱い伝奇バトルだけではない。妙に色気のあるヒロインに、さまざまなエロい責めをしてくる悪辣な敵。淫猥なエログロが人気を得た一つの理由だった。でも、いつまでもそれに拘泥して同じような作品を描こうとはしていなかった。

『孔雀王 曲神紀』では、出てくる神様がお賽銭を稼ぐために漫画喫茶を営んでいたり、孔雀たちがバンドを組んだり。荻野さん本人や熟成された読者は、そうした要素を楽しんでいたが決して支持はされなかった。釣り宿を舞台にした『おぼこ』など人情ものにも独特の味があるのだが、読者の支持は高くなかったのである。

 それでもほかのジャンルの作品を描こうとしても依頼が来るのは『孔雀王』の続編ばかり。その苛立ちは『孔雀王 戦国転生』の後書きにも記されており、ならやりたい放題を描いてやるとばかりに始めたのが『孔雀王 曲神紀』の後、孔雀が戦国時代へ転生される『孔雀王 戦国転生』でありヤング編の『孔雀王ライジング』であった。

 とりわけ『孔雀王 戦国転生』は掲載誌の都合で連載ペースは遅いが読者はずっと待ち望んでいた。なにせ『孔雀王 退魔聖伝』以来、
孔雀と阿修羅は生き別れのまま。頼むから、そろそろ二人を幸せにしてあげて! というのが、少年から青年、壮年へとなったリアルタイムな読者に共通した思いであっただろう。

 それももう幻になったのか……と思いきや、そうではなかった。リイド社の発表によると荻野さんは病床で『孔雀王 戦国転生』と『孔雀王ライジング』の最終回、そして単行本用のイラストも描き上げていたというのだ。

 これまで多くの漫画家が連載中に死去し、続きは永遠の謎となることがあった。だが、まさかきっちりと最終回を描き上げる人がいたなんて。

 これから掲載・単行本収録も告知されている最終回。それが納得のいくものかはわからない。でも、これまで作品に親しんできた読者は独特の強引な力技で無理矢理納得の最終回に持ち込む荻野節をむしろ楽しむはずだ。神道系バトル漫画『夜叉鴉』なんて、途中から「宮沢賢治や北一輝も夜叉鴉だったんだ」「ラスボスは聖徳太子」とか、どうなってるんだ展開が想像の斜め上をいっていて楽しめたものだ。

 きっと、来たるべき最終回でも荻野節で楽しませてくれるはず。
(文=昼間 たかし)

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