薔薇族の人びと ~間宮浩さんはナゾのおじさんだった 第4回

薔薇族の人びと ~間宮浩さんはナゾのおじさんだった 第4回の画像1写真提供:伊藤文學

 48年前に間宮浩さんに出会って、10数年前に認知症で病院に入り、亡くなってしまった。実はそれまで本名、住所も分からずに終ってしまったナゾのおじさんだった。

 どのくらい前の写真か覚えていないが、これは桜の花の季節、代田川にかけられた鎌倉橋の上での貴重な写真だ。3人ともこの世にいない。

 左側はいつもスーツを着ていた間宮浩さん、まん中は木村べんさん。この人が描いた『薔薇族』の表紙絵が健康的で一番良かったと思っているが、藤田竜さんにいびり出されて『さぶ』に活動の場を移してしまった。右端は長谷川サダオさん、この人も小説のストーリーにまったく関係のない挿絵を書くので、竜さんにいびられたようだ。バンコクのホテルで自ら生命を断ってしまった。

 この三人の『薔薇族』への貢献度は計り知れない。秀でた才能を『薔薇族』に捧げてくれたことに感謝の言葉もない。

 間宮浩さんは、ゲイの世界のことは知らないことはない。ウサギのマークの『プレイボーイ』の全盛時代、小学館から月刊『プレイボーイ』が創刊されたが、創刊号が50万部? 即日完売したというのだからすごい時代だった。

 アメリカの美女のヌードがいやというほど載っている女好きの人が読む、月刊『プレイボーイ』の4号目に、なぜか『薔薇族』の編集長のぼくに原稿の依頼がきた。その理由が今もってわからないが、ゲイの人の見分け方を書けというのだ。ぼくひとりではとても考えつかないので間宮浩さんにお願いして、ふたりで考えた。今思うと冷汗ものだが、なんとか25問ほど書き並べた。それだけでなく、4、5頁書かせてくれたので、その当時のゲイの人の悩みや、苦しみも書くことができた。

 ある日、韓国の出版社の社長が、婦人雑誌に載っていたぼくの記事を読んで、その編集部に電話をかけ、ぼくの連絡先を聞いて、電話をかけてきたことがあった。その頃の韓国はゲイに対する偏見や差別は、日本の比ではなかったようだ。彼らは友人たちに見破られないために、嫌でも女を買いに行ったりもしたそうだ。

 日本語をしゃべれる方なので、新宿2丁目のゲイバーを何軒も案内した。とても喜ばれた。そんなことも『プレイボーイ』には書けたので良かった。

 間宮浩さんはぼくが胆石の手術で入院中、ぼくの女房を助けて、食物を病院に届けてくれたり、2丁目のバーで広告を出してくれているお店に掲載誌や、請求書を持っていってくれたりもした。

 ぼくは間宮さんの怒った顔を見たことがない。竜さんにいびり出されてしまったが、ビデオのカメラを購入し、ビデオの世界で先駆者として新しい道を切り開いた人でもあった。
(文=伊藤文學)

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