薔薇族の人びと ~雑誌作りの申し子みたいな藤田竜さん 第6回

薔薇族の人びと ~雑誌作りの申し子みたいな藤田竜さん 第6回の画像1画像提供:伊藤文學

 『週刊文春』『週刊朝日』『週刊ポスト』などの一流週刊誌が、『薔薇族』創刊のニュースを大きく伝えてくれたのは、表紙が良かったからだ。これがやぼったかったり、汚ない男性ヌードの写真などを表紙に使っていたら、ニュースにはならなかっただろう。

 竜さんの表紙絵は24号まで続けられ、どの号の表紙絵も見事な出来ばえで、早くもゲイの文化を表紙絵から作りあげていた。

 竜さんの才能は表紙絵だけでなく、企画からレイアウト、写真、文章の万能選手で、雑誌作りの申し子みたいな人だった。それはいろんな雑誌を渡り歩いて得たものだろう。こんな竜さんと出会えたことが『薔薇族』を成功に導いたといって良いのでは……。

 ぼくは他の出版社に勤めたことがない。学生時代から父の言うとおりに使い走りをしていて、父から教えられることはなく、見よう見まねで仕事を覚えただけだった。

 第二書房は社員らしきものはぼくひとりで、単行本専門の出版社だから、単行本の作り方は自然と覚えてしまった。しかし、雑誌作りはまったく未経験だった。それがゲイの雑誌を出そうというのだから無謀としか言いようがない。

 間宮浩さんと藤田竜さんの協力がなかったら、ぼくひとりでゲイ雑誌を出せたのだろうか?

 藤田竜さんをスクーターに乗って訪ねると壁から机、椅子までまっ黒な部屋に通される。お茶をはこんできてくれる女性の手だけは見えるが、すぐに引っ込んでしまう。その人が竜さんのお母さんだということを知ったのは、かなり後のことだった。

 となりの部屋に人の気配を感じたが、その人が一緒に住んでいる内藤ルネさんだった。お母さん(山形出身でぼくとつなおばあさんでぼくの母のような人だった)と、ルネさんをぼくに紹介してくれたのは、何年も過ぎてからのことで、最初にルネさんが挿絵を書いてくれたときのペンネームは、佐原サムという名前だった。

 竜さんと40年も一緒に住んでいる内藤ルネさんの言うことだから間違いないが、ルネさんは竜さんのことを「いじわるオネエ」と呼んでいる。

 お天気屋だから「もうやめます!」なんて突然に言われてしまうのだから、たまったものではない。雑誌を出し続けるためには、がまん、がまんと耐えてこられたのは、母親ゆずりの辛抱強さをぼくが持っていたからだ。

 竜さんと気心が分かってきて、お互いに理解できるようになるまでには長い年月がかかった。

 本当に何か月か、「やめます!」と言って来なくなってしまったこともあったが、また戻ってきた。よくぞ辛抱したものだ。
(文=伊藤文學)

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