トップ > マンガ&ラノベ > 漫画 > 記事詳細  >  > 3ページ目

「人は死ぬし、死んだ後には何もない」クリスチャンになれなかった山本直樹の信念

2013.10.10

――とはいえ、やはり宗教やスピリチュアルにハマる人がマンガ家さんに多いのはなぜなんでしょうか?

山本 僕が劇画村塾にいたころも、そういうものをネタとして扱っている人はたくさんいたから、ミイラ取りがミイラになった部分はあるのかも知れませんね。でもマンガ家に限らず、ハマる人はそういうのにハマるんだろうと思うんですよ。大学時代の宗教研究の授業で、田島先生がそんな話の例えで言っていたのをよく覚えているんですが、「浜までは海女も蓑着る時雨かな」【註5】という一句があるんです。海女さんがあんなに冷たい海に入るのに、雨が降っているだけで水に入るまで蓑を着て防寒がっちりしてるっていう。オカルティックなものやミスティックなものに対しても、例えそれが面白そうでも、ギリギリまで理性的であろう、ということです。それが僕の基本態度でもありますね。

――最近は新しいスピリチュアルブームが再燃しているようにも感じますが、そういったものを山本先生はどのように捉えてますか?

山本 前の神秘主義ブームはオウムという形でカタストロフを見たけど、僕からしたら、今はそんなに盛り上がっているかなあ? というのが正直なところ。今も昔も、そういうことは絶えずありましたからね。それでもハマってしまう人がいるというのは、何かを超越したものとか、もしくは生きていく上での裏技が欲しいんじゃないかなと思うんです。でも、「そんなものはないよ」って言いたい。人は必ず死にますから。スピリチュアルなものを信じようとするのは、みんなどこかで「死ぬのが怖い」っていうだけだと思うんです。僕もそう。だから死んだ後に、何かがあると思いたいんでしょうね。まあ、あんまり人が信じていることにあれこれいうのもなんだけど、(死後の世界が)あると思っている人には、本当になにかあるのかもね。僕はそういうものがあるってイメージできないから、クリスチャンにもなれなかったし、何もないんだろうと思います。もし僕に霊的なものが見えたら、「あ、おれおかしくなったんだ」と思うだろうね。人は死ぬし、死んだ後には何もないというのを、常に自覚していかないといけないと思っています。

――では最後に、今後はどういった作品を描かれる予定ですか?

山本 僕は、エロを描くことによって何者かになれたという感じがあるので、ここからは離れられませんよね。ぐだぐだしている時も、エロを描き始めた途端にスラスラ描けるし、みんなは褒めてくれるし、お金はもらえるし(笑)。僕は普通のマンガ家と逆で、エロがあるからこそ物語が思いつくんです。だから、『レッド』が終わったら“本業”に戻ろうと思っています。
(構成/大熊 信)

■山本直樹(やまもと・なおき)
1960年、北海道生まれ。早稲田大学教育学部を卒業後、小池一夫の「劇画村塾」に入塾。主に青年マンガを中心に執筆している。作中の性描写が問題となり、東京都から不健全図書指定を受けた『BLUE』をはじめ、奥田瑛二主演で映画化された『ありがとう』など、今回取り上げた作品以外にも代表作多数。

■註
【註1】キリスト教神秘主義
人間が神、イエス・キリスト、聖霊を直接経験するための哲学と実践のこと。一般に、キリスト教の教理では、すべての人々の中に神が存在し、イエス・キリストを信じることで、その神を直接経験できるとされているが、キリスト教神秘主義の場合、知性では到達できない霊的な真理を、“キリストにならう(=キリストの行いを手本にする)”ことにより、把握しようとする。
【註2】錬金術
金属に限らない、さまざまな物質を「完全な」物質に変化・精錬しようとする技術のこと。そこから、人間の霊魂をも「完全な」霊魂に変性しようという意味も持つようになった。また、特に高等な錬金術師は、霊魂の錬金術を行い神と一体化すると考えられたので、以降、宗教や神秘思想の趣きも強くなった。
【註3】山岸凉子
萩尾望都・大島弓子・竹宮惠子などとともに24年組と呼ばれるマンガ家のひとり。代表作には、『アラベスク』(白泉社ほか)や、83年に第7回講談社漫画賞を受賞した『日出処の天子』(白泉社)など。最新作は『ケセラン・パサラン』(メディアファクトリー)。
【註4】諸星大二郎
SF・伝奇マンガ家。70年に「COM」でデビュー。74年には、『生物都市』で第7回手塚賞初入選。代表作には、『妖怪ハンター』(集英社)や00年に第4回手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞した『西遊妖猿伝』(双葉社)など。
【註5】「浜までは海女も蓑着る時雨かな」
江戸時代の俳人、滝瓢水(たき・ひょうすい)が歌った句。

編集部オススメ記事

注目のインタビュー記事

人気記事ランキング