薔薇族だった時代 ~薔薇族への恩返し 第60回

2020.03.27

 以前のコラムでも書かせて頂いたが、藤田竜さん無茶振りトラブルに巻き込まれて薔薇族編集部を去ったことがある。1年も経たずして、藤田竜さんに新宿で偶然会い「津田君の感性が薔薇族に必要だから手助けして」と頼まれて復帰する。その後は薔薇族の若者企画を手伝っていた。

 それから11年程が経過していた平成8年に、私はゲイビデオのオリジナルレーベルを立ち上げた。平成30年に手放す迄の22年間、毎月新作を発表していた。

 ひとくちに22年間毎月と言い切ったが、振りかえると壮絶な道のりだった。企画・撮影・編集・パッケージデザインとほぼ一人で22年間も頑張れていたのは、薔薇族編集部にいて毎月当たり前の様に編集作業をこなしていた約3年の経験があったからに違いない。

 薔薇族誌面の内容を他に類を見ないものにして読者を獲得する姿勢が、ビデオ制作に活かされていた。それがヒットとなった立体視による3D写真集だった。

 薔薇族にビデオレーベル広告を掲載していた事もあり、作品は次々とヒットした。だから薔薇族の大規模イベント開催時前に伊藤文學さんから「イベント来場者の抽選会に出す商品を提供して貰えないか」と頼まれ、自社のオリジナルビデオを第二書房に大量に送付した時は、薔薇族編集部と伊藤文學編集長へやっと恩返しができたとこみあげるものがあった。

 年号が令和になった今でも下記の津田・・・から始まるツイッタ ーアカウントにて伝説の「津田広樹写真集・限定電子版」 を発表しているので、ぜひともご覧頂きたい。

【津田広樹プロフィール】
 いわゆる80年代アイドル全盛の時代にスチール撮影のみならず、その多才さを認められてグッズ等の企画発案にまでもマルチな才能を発揮したキャリアをもちながら、あらたなる新天地として当時の有力ゲイ雑誌であった薔薇族の出版会社に編集部員として転身。その後もさらにその非凡なる才能の昇華は衰えを知らず、グラビアや企画ページ等にも幅ひろく手腕をふるい、多くの絶賛を得るまでにおよぶ。そして1996年にはゲイ業界初の試みであった3D写真集付き映像ビデオ、ジャック・リードを発売し世に送り出した。
 さらにオリジナル競パン付きDVDの発売など革新を起こし続けるも、無断配信に苛まれ、2018年に全ての映像ソフトのレーベルを手離す。しかし長年ににわたり不変的な価値観を持ち続ける津田広樹の世界観は色褪せることのなく、その真価を現在も世に問い続けている。

津田広樹Twitter
@Wi08XKZE10Vb5rx

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