昭和と平成を駆け抜けた津田広樹の回顧

薔薇族だった時代 ~直ばきだったラグビーパンツ~ 第14回

2019.06.12

撮影:津田広樹

 90年代に私は、すでに薔薇族編集部を去っていた。ところがある日、新宿の伊勢丹前で自転車に乗った藤田竜氏に偶然出くわし、呼び止められた。

「津田君の感性を失いたくないから、また薔薇族に協力して欲しい」

 そうい言われて気を良くし、俳優でいう「客演」みたいな立ち位置で、津田以外のペンネームで原稿を書いたりしていた。自分で発売していた体育会系ビデオの広告もクライアントとし て薔薇族誌面に掲載していたこともあり、薔薇族カラーグラビアに体育会系の写真も提供させて頂いていた。

 その当時は、三上風太さんが私の写真等何を使うか決めてくださっていたので、頻繁に喫茶店で打ち合わせを繰り返していた。私が撮影していたラグビー選手のイメージが、三上風太さんの描かれる絵と良い意味で重なることや、三上風太さんの絵の世界観でラグビー選手の撮影イメージが閃いたこともあった。「明日からのラグビー夏合宿撮影で、すごい写真を撮ってきます」と宣言し、実際に撮影してきて「凄いですね」と言っていただけたことも多々あった。

 私は決してヤラセではない写真に、こだわりを持っていた。黒いラグパンの紐をとめずに歩いていた選手の自然なエロが出ている写真は絶賛された。

 強いラグビー選手ほど、ラグパンの下に何も履かない、いわゆる直ばきの時代だったため、ハプニングショットのシャッターチャンスが毎試合あった。だから私の動体視力はパワーアップしていた。

 通常の出版社では、カメラマンとページに写真を割り振る編集者は別だ。だから編集者がラグビーの現場を知らなかったのか、ハミ◯◯していてもベージュのインナーが見えているとしか思わなかったのか、丸見えのまま掲載されていた雑誌がかなりあった。

 特に有名な写真週刊誌に、長身イケメンの大学4年生ラガーマンの、ラグパンを引っ張られて丸見え大サービスショットが無修正掲載されたのは 、ゲイの世界では伝説だ。しかもマッチョなイケメン選手が、◯◯クリニックに行かなくてはならない程に、恥ずかしがりな状態だったことも衝撃だった。 

 今年はラグビーW杯が開催されるので、ラグビーに注目してほしい。いろんな意味で・・・。
(文=津田広樹)

【津田広樹プロフィール】
 いわゆる80年代アイドル全盛の時代にスチール撮影のみならず、その多才さを認められてグッズ等の企画発案にまでもマルチな才能を発揮したキャリアをもちながら、あらたなる新天地として当時の有力ゲイ雑誌であった薔薇族の出版会社に編集部員として転身。その後もさらにその非凡なる才能の昇華は衰えを知らず、グラビアや企画ページ等にも幅ひろく手腕をふるい、多くの絶賛を得るまでにおよぶ。そして1996年にはゲイ業界初の試みであった3D写真集付き映像ビデオ、ジャック・リードを発売し世に送り出した。  さらにオリジナル競パン付きDVDの発売など革新を起こし続けるも、昨年に全ての映像ソフ トのレーベルを手離す。しかし長年にわたり不変的な価値観を持ち続ける津田広樹の世界観は色褪せることのなく、その真価を現在も世に問い続けている。

●津田広樹Twitter
https://twitter.com/hk8efj4xx3zxkim

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