コミケに勝てないデモに価値はあるのか?浅羽通明『「反戦・脱原発リベラル」はなぜ敗北するのか』
2016.03.16
浅羽はTPP妥結において、二次創作が対象外とされたことを取り上げて、こう語るのだ。
質量ともに誰も無視できなくなった二次創作は、デモなど足元へも近づけなかったアメリカ政府の経済攻勢すらなんなくはねのけつつあるのではありませんか。
いやいや、奔放な発言で浅羽が求めているのは、持論に賛同してもらうことではないのだろう。おそらくは求めているのは、思考の幅を解きほぐすことであり、床屋談義のごとく奔放に語ることのできる風潮だろう。
そもそも、デモが一種のムーブメントとなりながらも、思考の範囲は狭まっている。かつて、太田竜が世界革命への理論を記した『辺境最深部に向かって退却せよ!』では、第一章からいきなり革命軍の中に宇宙軍の設立が盛り込まれている。その太田とは途中で袂をわかった竹中労と平岡正明が記した『水滸伝―窮民革命のための序説』では、水滸伝から革命の方法論を見いだそうという試みがなされている。
選挙だなんだとマジメにやっている人々から見ればアホ・バカ・無責任呼ばわりされてオシマイかもしれない。でもね、そもそも世の中をどうにかしたいとは、そういうものだ。昨年、「日刊サイゾー」にて論じた千坂恭二の『思想としてのファシズム』(彩流社/記事参照)。その巻末のインタビューで千坂は、明瞭に語っている。
今は革命家というのは犯罪者と病人以外には存在しないのかもしれません。
そもそも、世の中をどうにかしたいとか、自身の作品やら理論やらを世に認めさせたいと思考する人が、のっけから賞讃されたり、暖かく見守られているほうがオカシイ。常に、アホとかバカとか死ねとかいわれてなければ、素朴な思考が昇華するはずもない。
徹底した床屋談義で、思考に活をいれる浅羽通明。単にタイトル通りの内容じゃないことに、驚き以外の何があろうか。
世界を席巻するオタク文化に、多くの「先進国」が恐慌を来している今だからこそ、読んでおくべき一冊であろう。
(文=昼間たかし)