薔薇族の人びと ~大阪のオッチャン 限られたごく少数の男たちの間だけで!
2019.12.22
『薔薇族』3号に載せた藤田竜さんと甲斐久さんの「大阪のオッチャン」を悼む文章は、当時の時代のこともよく分かる名文だ。
「幻の花火、ホモ・ポルノ写真家を悼む」と題する藤田竜さんの追悼文の、一部しか載せられないのは残念だ。
「限られたごく少数の男たちの間だけではあったけれど、人眼をさけた暗い空間に妖しく開いた花火は、もう上がらない。すべては終ってしまった。オッチャンは亡くなってしまったのだ。(中略)
ぼくは少年のころから「男」を見せてくれたお礼を果たしえたと思った。
アート・コンパニオンという人畜無害なメンズ・ヌードを売る組織を作る以前に配ったおてんとうさまの光をまともに浴びられない、とんでもない写真の何十枚かは、今も日本のあちこちに散ってはいるのだけれども、それは人眼にふれることなく、その所有者とともに朽ちてゆく。オッチャンの写真は『薔薇族』にこれからも載る健全な、オッチャンにとっては不本意の少数の遺作をのぞけば、初めから押入れの中にのみ開く花火としての性格を持っていた。幻であった。その幻をオッチャンは追ったのだった。
作品もオッチャンも、もうこの世にはなくなってしまった。ただオッチャンの写真やハミリを見た人の記憶にのみ色鮮やかに残って、その人が死ぬまで、その人の頭の中にだけ映り続ける。
何も彼も、すべては幻であった。誰が第2のオッチャンになり得よう。日本のホモの歴史において、形にならずに、世に知られずに、一つの華やかな時代は消減したのである。すべては幻の花火となった。合掌。
甲斐久さんは「天才に近いボーイハントの技術」と題する17年間に、約10万枚に近い男性ヌードの写真を撮りまくった男である。そのモデルの数は約2千人とも言われる。すると計算からすれば、3日にひとりは彼のカメラの前にヌードとなっていることになる。そのモデルの職種だが、学生・工員・自衛隊員・店員・ヤクザ・バーテン・農業・漁業・土方など、数えあげればきりがないほどに種別される。
この種の撮影には自分の好みにどうしても傾くものだが、彼の場合、相手の需要に応じてタイプを様々に撮りわけなければならないことになる。だから、その日によって彼のカメラの前には、たくましい若者がいたり、美少年がいたりした。
こんなエピソードがある。
「あの子のヌードが欲しいけれど無理でしょうね」と、半ばあきらめ顔で頼んだことがある。数日後にその子のヌードが送られてきた。
享年54歳。警視庁の倉庫には処分されてないそうだ。
(文=伊藤文學)