薔薇族だった時代 ~かなりレアだった坊主モデル 第40回
2019.09.27
早いもので、このコラムも連載40回目になった。私の新Twitterアカウントにも「楽しみにしてます、100回は連載して下さい」と嬉しいDMを頂けている。ちょっとだけネタバレすると現在67回迄書き終えている。伊藤文學さんにも「そんなに書く思い出があるのが凄いね」と言って頂けているのが励みだ。
生前の藤田竜さんに1度だけ「坊主頭のモデルは気持ち悪いからやめて」と言われてしまったことがある。それが、この薔薇族カラーグラビアのモデルだった。
幼く見えるが、大学1年生で綺麗な肌と身体の真面目な男子だった。私が公営プールでスカウトし、彼の家の室内と近所の公園で自然光をふんだんに使いリラックスさせ、半日かけて撮影した。
競パンを何枚も替えて雑談した。顔に似合わず(?)立派なモノを持っていた男子だったので、薔薇族の読者の受けが意外と良かったことを覚えている。
読者からの手紙で、小坊主さんみたいでかわいかった等の手紙が多数届いた。それを見て、藤田竜さんは坊主NGを撤回してくれた。しかしこのグラビア掲載以降、残念ながら彼を上回る坊主頭のモデルは現れなかった。
坊主とは異なるのだが、私の元ビジネスパートナーのAは、昔からスポーツ刈りで若く見えた。国体等の某種目で活躍した男性だった。
現在、私は自宅でAの療養介護をしているのだが、以前引っ越しをした日に彼を客間のソファーに座らせて休ませていた。引っ越し業者の全員に「病人が休んでるので客間扉は開けないでください」と頼んでおいた。そのまま荷物の運びだしは進んだ。
作業終了寸前に業者の男性が、玄関にいた私の元に来て慌てた様子で「すみません、間違えて息子さんが休まれてる客間の扉を開けてしまいました」と言った。私は「大丈夫ですよ」と返した後、つい笑ってしまった。
客間を開けて、扉に背を向けたソファーに座り寝ていたAのスポーツ刈り後頭部を見た業者の彼は、Aを高校球児だと思ったようだ。当時40代の私に高校生の息子がいるとイメージしたのだろう。そんな勘違いがいまとなっても微笑ましい。
私、津田広樹の真骨頂として撮り下ろした、現役大学水泳部員やライフセーバーの褐色の筋肉美作品を、究極の写真集を限定電子版に仕上げた。興味ある方に是非ご覧頂きたい。下記の津田広樹の新しいTwitterアカウントを覗きにきて頂けたら嬉しい。
【津田広樹プロフィール】
いわゆる80年代アイドル全盛の時代にスチール撮影のみならず、その多才さを認められてグッズ等の企画発案にまでもマルチな才能を発揮したキャリアをもちながら、あらたなる新天地として当時の有力ゲイ雑誌であった薔薇族の出版会社に編集部員として転身。その後もさらにその非凡なる才能の昇華は衰えを知らず、グラビアや企画ページ等にも幅ひろく手腕をふるい、多くの絶賛を得るまでにおよぶ。そして1996年にはゲイ業界初の試みであった3D写真集付き映像ビデオ、ジャック・リードを発売し世に送り出した。
さらにオリジナル競パン付きDVDの発売など革新を起こし続けるも、無断配信に苛まれ、昨年に全ての映像ソフトのレーベルを手離す。しかし長年ににわたり不変的な価値観を持ち続ける津田広樹の世界観は色褪せることのなく、その真価を現在も世に問い続けている。
津田広樹(薔薇族だった時代筆者)
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