第20回

薔薇族だった時代 ~木村べん氏に通じた写真家としての自分~

2019.07.01

画像提供:津田広樹

 薔薇族の歴代の表紙で、私が個人的に一番好きなのは、木村べん氏 の表紙(絵)だ。

 私が薔薇族の編集部に勤務していた時代の薔薇族の表紙も、木村べん氏の描かれた男性の絵だった。お会いしたかったが、残念ながら生前の木村べん氏とお会いすることは叶わなかった。

 私には木村べん氏ご本人にお礼を申し上げたかったことがある。それは、私の撮影したラグビーと水泳の写真をほぼそのまま絵に描いてくださったことに対するお礼だ。好きな画家さんが自分の写真の世界観を絵にしてくださるのは、光栄なことだと思っていた。

 今回の2画像とは違う絵なのだが、ただ単に模写したのとは違う。木村べん氏にしか描けない不思議な爽やかさに引き込まれていく。自分がファインダーの一瞬に対してシャッターを切り、満足する写真になって作品として残ったものが絵画になるのだ。それを初めて見たときは感動した。

 伊藤文學氏にこのコラムに使える写真をお借りするために喫茶店で、文學氏のアルバムを拝見していたときに「この写真は貴重だね。木村べんと長谷川サダオと間宮さんが三人並んで写ってるよ。下北沢でお花見のときのだな、三人共他界してしまったけど」と仰った。初めて写真で拝見した木村べん氏は、優しそうなお顔をしてらして作品イメージのままでほっとした。

 私が薔薇族編集部に勤務していた時代に「木村べん君は、下の息子(当時小学生)をプロレスに連れて行ってくれたりしたんだよ。息子もなついていたなぁ」とも文學氏は、仰っていたので、 私は優しいお兄さん的なイメージを持っていた。しかし、文學氏の貴重な写真の木村べん氏は、優しいお人柄が見てとれる自然な笑顔の方だった。

 木村べん氏の描かれるスポーツ選手は、私が撮影してきた選手にとても似ている。だから彼の絵画に引き込まれるのかもしれない。画家と写真家の違いはあれど、通じる感性はある気がする。いまでも嬉しい限りだ。
(文=津田広樹)

津田広樹プロフィール】
 いわゆる80年代アイドル全盛の時代にスチール撮影のみならず、その多才さを認められてグッズ等の企画発案にまでもマルチな才能を発揮したキャリアをもちながら、あらたなる新天地として当時の有力ゲイ雑誌であった薔薇族の出版会社に編集部員として転身。その後もさらにその非凡なる才能の昇華は衰えを知らず、グラビアや企画ページ等にも幅ひろく手腕をふるい、多くの絶賛を得るまでにおよぶ。そして1996年にはゲイ業界初の試みであった3D写真集付き映像ビデオ、ジャック・リードを発売し世に送り出した。  さらにオリジナル競パン付きDVDの発売など革新を起こし続けるも、無断配信に苛まれ、昨年に全ての映像ソフトのレーベルを手離す。しかし長年ににわたり不変的な価値観を持ち続ける津田広樹の世界観は色褪せることのなく、その真価を現在も世に問い続けている。

●津田広樹Twitter
https://twitter.com/hk8efj4xx3zxkim

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