昭和と平成を駆け抜けた津田広樹の回顧

薔薇族だった時代 ~昭和香る男性用トイレと無邪気な水泳選手~ 第17回

2019.06.20

撮影:津田広樹

 薔薇族読者の多くが、夏に通いつめたであろう神宮プール(正式名称は明治神宮水泳場) 。惜しまれながら2002年に閉鎖され解体されてしまったが、神宮プールでは有名大学の対抗戦他、大きな競技会の生中継なんかもされていた。

 今回掲載の2画像は、私が神宮プールでの競技会で撮影したベストショットである。

 神宮プールには観客席に上がる階段の先に、競技会の出場選手用の待機場所があった。プールサイド横の建物の廊下に少ない数のロッカーがあり、選手達はその前に毛布を広げ、堂々と着替えていた。プレス用に競技記録タイムが廊下に貼り出されるのだが、それを選手達も急いで見に来ていた。競パンのまま濡れた身体を小さなセームで拭きながら記録タイムを見ていることも多かった。

 そんな中、無意識なのかその場で競パンを脱ぎ、全裸のまま記録タイムを見ていた選手がいた。その選手の大学のOBがたまたま通路に彼女と来てしまい、「お前、女性も通るんだからこんな所でツルツルの短小包茎さらしてんじゃねえよ」と叫んだ。慌てた選手は、セームで股間を隠して「ちーす、すんません」とトイレに消えた。

 当時の選手用トイレは、壁に向かって並んで用を足す古いタイプのものだった。当然、見る気が無くても隣の様子が丸見えになる。このとき、私はその選手の横で用を足したのだが、股間の毛を全剃りし(水泳選手にはよくある)、なおかつ全被りしたモノが豪快に放尿している様子はすごかった。しかも後ろから後輩らしき選手が来て、「先輩!なんで全裸でションしてんすか?」と先輩の顔の横から股間を覗きこんでいた。現代でいうBL的なシーンを写真に残したかった。その全裸放尿選手は、水道に置いたセームと競パンを手に持ち、後輩と笑いながら待機場所に戻って行った。

 いま思うと、ゲイかもしれない選手がいたことを思い出した。トイレには6つの足形があったので、仮に左からA B C D E F としよう。私は別の日に、Eに立って用を足していた。そしたらまさかのDに、有名大学の水泳部員が並んだ。そして私のをチラ見しながら用を足したのだ。

 当時26才の私に対して選手は、恐らく20歳。何の会話もせず、用を足し終えたらプレス場所に戻ったことを後悔している。フレンドリーに話すべきだった。当時は硬派すぎて撮影に集中しすぎていたかもしれない。
(文=津田広樹)

【津田広樹プロフィール】
 いわゆる80年代アイドル全盛の時代にスチール撮影のみならず、その多才さを認められてグッズ等の企画発案にまでもマルチな才能を発揮したキャリアをもちながら、あらたなる新天地として当時の有力ゲイ雑誌であった薔薇族の出版会社に編集部員として転身。その後もさらにその非凡なる才能の昇華は衰えを知らず、グラビアや企画ページ等にも幅ひろく手腕をふるい、多くの絶賛を得るまでにおよぶ。そして1996年にはゲイ業界初の試みであった3D写真集付き映像ビデオ、ジャック・リードを発売し世に送り出した。
 さらにオリジナル競パン付きDVDの発売など革新を起こし続けるも、昨年に全ての映像ソフ トのレーベルを手離す。しかし長年にわたり不変的な価値観を持ち続ける津田広樹の世界観は色褪せることのなく、その真価を現在も世に問い続けている。

●津田広樹Twitter
https://twitter.com/hk8efj4xx3zxkim

※画像の加工は編集部によるもの

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