投じた予算は3900万円超 下津井~『ひるね姫』の旅路で見た「聖地巡礼の魅力は作品よりも人」という事実
2017.06.25
■投じた予算3,900万円超の成果はどうなっているのか
東京に戻ってから『ひるね姫』による聖地巡礼を手がける倉敷市観光課に電話で話を聞いた。やはり気になったのは、どの程度の人が『ひるね姫』を目当てに街を訪れているかということだった。観光課の職員は、突然の電話だというのに、面倒くさそうなこともなく丁寧に対応してくれた。
『ひるね姫』の公開以来、下津井を訪れた人の数はスタンプラリー参加者で1,500人。予想よりは、若干少ない数だという。これまでに投じた市の予算は3,900万円。この金額には電車やバスのラッピング費用や、首都圏の映画館で行ったコマーシャルの上映の金額は入っていないというから、実際にはもっと多くの金額がかかっているだろう。
マンガやアニメの聖地巡礼が全国各地で行われるようになり、昨年は『君の名は。』や『この世界の片隅に』が大ヒットした。そのような盛り上がりを背景に投じられたであろう大規模な予算。それが、直接的に経済効果をもたらしているとは言い難い。
けれども、矢吹氏の言うように『ひるね姫』をひとつのきっかけとして、地域の人々は少しずつ、町の魅力に気づき、それを発信しようとする萌芽がある。
もともと、マンガやアニメに寄らずとも、下津井のある児島は聖地である。かつては、香川県の金比羅さんとの両参りが盛んだった由加山。今なお、新熊野三山と称された頃の面影を残す熊野神社のような聖地がある。由加山は厄除けの御利益があるとして、今でも多くの人々が集まっている。熊野神社は、まったく観光地とはなっていないものの、神仏習合の名残が色濃く残り聖地の雰囲気を感じさせてくれるところだ。そして、江戸時代に栄えたといわれる児島八十八カ所も、近年になり再び脚光を浴びつつあるという。つまり、瀬戸大橋やジーンズ、そして『ひるね姫』だけでなく、多くの訪問する価値のある場所が、ここにはある。
これまで、駅からも近く、見るところも食べるところも事欠かない美観地区を観光の柱にしてきた倉敷市にしてみれば、一度に下津井を新たな観光地として盛り上げることは、なかなか困難だろう。けれども、少し視点を広げれば、発信していくべきべき魅力的なスポットには事欠かない。
数々の産業もあり交通拠点でもあり、そこそこの繁栄を続けて来た岡山の人々にとって、外向けにPRすることは苦手な分野だと思う。先年、東京の新橋駅前に県の主導で鳥取県の合同のアンテナショップがオープンした。ここには、岡山人のPR下手が如実に見えているように思えてならない。盛んに催しを開いたり存在感を見せている鳥取県に対して、岡山県側は、ただ商品を並べているだけという雰囲気がある。名物「大手まんぢゅう」は、いつでも買えるようになったけれども「藤戸まんぢゅう」が置かれていないあたりに、私は不満を感じている。
行政によるお仕着せや、通りいっぺんのイメージ通りではない、地域の魅力。町を訪れた人に「もう一度訪れたい」と感動を与えたり、口コミで人に勧めさせたりできるのは、そこに住む人々の意識にかかっている。
たとえ『君の名は。』ほどは流行らずとも、『ひるね姫』は確実に、そのきっかけをつくりだしている。そのために投じた多額の予算。それを無駄遣いだったという結果に終わらせないのは、ひとえに地元住民たちの意志である。
取材をして書くために、必然的に旅をしなければならない三文文士という仕事。ゆえに、これまでもさまざまな町おこしを見る機会を得た。それらに触れる中で思うのは、少しずつ起こっている人々の意識の変化である。訪れる観光客に、単にモノを買わせるとか、珍しい風景を見せるのが観光ではないことに、多くの人が気づき始めている。かりそめの、人との交流。それによって違って見える街の風景。それが、異邦人たちに「また、この街を訪れたい」という想いを抱かせ、人生の忘れ得ぬ旅として記憶させていくのだ。
観光による町おこし。その原点は人だった。
(取材・文=昼間たかし)