いよいよ11月12日公開!『この世界の片隅に』片渕須直監督1万字超えインタビュー!!
2016.11.11
―― 「今は戦時中である!」という、周囲と同調させられる空気ですかね……?
片渕 そういう空気をどう思っていたのか? というお話だと思うんですよ。広島平和記念資料館に、被爆した当日に女性が着ていた服が展示されていますが、普通に花柄のワンピースだったりするんです。戦争の最後の最後でも、そういう服装をしていたんですよ、そりゃ下にはモンペを履いていたかもしれませんけど。
―― 少し前のドラマや映画では、一律にモンペを着せていたりしますよね。
片渕 これまでのドラマなどはもしかしたら間違っていたんじゃないか? という観点に立つ必要があるわけです。そして間違っているんです、モンペは履いていなかったんですよ。たとえば、昭和18年ごろの鉄道の改札口の写真があるんですけど、女性職員がスカートを履いているんですよ。国鉄の服制(服装の制度)を見ると、戦時中に制定された女子制服は、本来はスカートなんです。
―― それは驚きました、真っ先にモンペだのズボンに切り替わりそうですが。
片渕 さらに写真を見ると、改札の前を行き交う女性も普通に着物やスカート姿だったりするんですよ。昭和18年ごろまではそれが普通で、逆にモンペなんか履いている人は学校で決められている女学生くらいだったんです。広島の中国新聞の記者の日記では、昭和20年1月の部分で「今年の初詣客は、男は国民服、女はモンペ服が多くなった」と書いている。
―― 逆にそれまでは多くなかった!
片渕 そう、「去年までとは一変した」と書いていて。昭和20年ともなると正月から空襲が来ていますから、そうなると防空壕に飛び込んだりしないといけない。しょうがないから履いているんです。ところがその1年前の昭和19年1月でも、外出時ではなく家にいるときにはモンペを履いている。なぜかというと、薪や炭の配給が滞りがちになって寒かったから。
―― 単純にスカートだと寒いから。
片渕 そう、寒いし、靴下や足袋を繕うにしても材料も少なくなっていたんですね。家ではトレパン、ジャージを履くみたいなものと思えば、一気に理解できますよね、現代の我々と同じなんですよ。あとは、たとえば戦争中を題材にしたドラマだとよく窓にバッテンの、紙のテープが貼ってあるじゃないですか。
■調べるほどにすずさんが浮かび上がってくるような感覚に
―― 爆風で窓ガラスが砕けたとき、破片が飛び散らないように、と聞いたことがありますすけど。
片渕 空襲で落とされるのはほとんどが焼夷弾なんですから、破片はそんなに飛び散らないじゃないですか。なぜ手間をかけてあんなものを貼ったのか、そもそもあれは何で貼りつけていたのか。調べてみたら、あんなことやってないんですよ。
―― 後世の人が、作中の雰囲気を出すために作り出した、ということですか?
片渕 いや、昭和12年に中国との戦争が始まりましたが、国内ではまだ他人事なんですよね。そこで中国から爆撃機が来るかもしれないと盛んに防空演習をやって、戦争に対する国民の意識を高めようとなったんです。演習のときだけ窓にアレを貼ったし、モンペも履いたし、防空頭巾も被っていたんです。本当に空襲が来るようになった昭和19~20年には、逆に貼っていなかったんです。
ただ、焼夷弾ではなく爆弾を落とされるところでは、貼る必要があるんですよ、軍の施設、工場があるような土地では。ただ、米に貼るんじゃなく格子型、“井”の形に貼っていたんです。
だから、我々はドラマや映画で何を見ていたのか、見せられていたのか……なんだかおかしくねぇか? と(笑)。今までのドラマや映画でやっていたことに乗っかると、戦争中の人々が実在していたのかどうかわからなくなってきて、何か観念的なもののように思えてきてしまうんです。なので、戦争中ってこうだったんだろうなというものを、できるだけリアルに追求していきたいなと。さらに、料理するシーンでも、上空を飛んでくるB-29にしても同じレベルで今までの手法や演出を疑って、「本当はこうだったんじゃないか?」というものと置き換えてみよう、そういうことから『この世界の片隅に』は始まったんです。
たとえば、B-29がやってきて爆弾をバラバラと落としていくシーンとかありますよね? あれってどれぐらい入っているんだろう、とか。