“日本青年館ガラガラ状態”を味わって成長したテニミュ―テニミュファンの聖地・日本青年館の閉館に思いを馳せる

2015.04.01

30日に閉館した日本青年館。

 3月30日、東京・神宮外苑地区にある複合施設「日本青年館」が90年の歴史に幕を下ろした。そんな中、日本青年館のラスト公演という大役を、ミュージカル『テニスの王子様』(以下、テニミュ)が務めた。ここでは、テニミュファンにとって“聖地”である日本青年館の重要さについて記していきたい。

 1925年に完成した日本青年館。現在の建物は1979年に竣工された二代目。その大ホールといえば、宝塚歌劇団の作品など多くの舞台作品が上演され、またDREAMS COME TRUEなどといった多くのアーティストがコンサートを行った地として有名だ。ももいろクローバーZやAKB48といったアイドルが初のホールコンサートを行った地でもあり、アイドルファンの間でも“聖地”との呼び声が高い。だが、日本青年館は隣接する国立競技場の建て替え工事の影響で取り壊されることとなった。

テニミュが日本青年館のラスト公演に。

 テニミュが初めて日本青年館で公演を行ったのは2003年8月。その2年後、2005年8月に上演された「The Imperial Match 氷帝学園」公演を境に、日本青年館での公演が通例に。2011年から始動したテニミュ2ndシーズンからは、水道橋にあるTOKYO DOME CITY HALLでの公演が多くなるが、冬季の公演は日本青年館で行っている。多くの“中学生テニスプレーヤー”が鎬を削ったこの地。また、今広いフィールドで活躍する斎藤工や城田優をはじめ、多くのテニミュキャストがこのステージに立ち、ファンに笑いと感動、そして萌えなど、さまざまなものを届けてくれたのだ。

 そんな日本青年館はテニミュファンであればそれぞれの思い出が詰まっているだろう。個人的に日本青年館の公演で思い出深いのは、2011年冬に上演された「2ndシーズン 青学VS六角」。公演を盛り上げるサポート校として、筆者が好きな“跡部様”こと跡部景吾有する氷帝学園の面々が出演しており、氷帝を語る際、忘れてはならない楽曲「REMEMBER HYOTEI」が歌われていた。ちなみに、「鏡の中の俺II」で袖なしパーカーをお召しの跡部様が左手を挙げた際、毎回食い入るようにワキを見ていました。すみません。青学と六角の織り成す試合も見どころ満載で、充実した公演だった。公演にやみつきになり、ほぼ毎日日本青年館に通っていたのが懐かしい。

 このように、日本青年館はテニミュファンであればそれぞれの思い出が詰まっている、いわば“聖地”なのだ。また、日本青年館が愛される理由には、ステージの見やすさもあった。

 日本青年館は比較的、どの座席からもステージが見やすい。ただ、長時間座席に座っているとおしりが痛くなるという難点もあったが……。あるテニミュファンは、私的“神席”にH列のセンターブロックを挙げる。「ステージ全体も見ることができて、キャストの表情もちゃんと見える」というのがその理由だ。

 筆者も前出の「青学VS六角」をH列で観劇したことがあり、その見やすさに感動した覚えがある。テニミュでは公演のラストに「Jumping Up! High Touch!」といったアンコールソングが歌われ、キャストが客席に降りてハイタッチをしてくれる。前が通路のH列はハイタッチの嵐。当時私は、ハイタッチをしたキャストをまめにメモしていたのだが、その手記を見返すと「菊池(菊池卓也)、じゅんじゅん(志尊淳)、おごたん(小越勇輝)、みちゅ(三津谷亮)……あああ忘れたけどめっちゃハイタッチした」と、綴ってあった。

 その中で、「2階席の最前列も視界が良好でかなり見やすい座席でした。テニミュって照明も見どころのひとつなのですが、それもきれいに見ることができるし。ただ、そんな2階席も“弱点”があるんですよね(笑)」と語るテニミュファン。

 テニミュには「日替わりネタ」というものがあって、公演によっては1階席にキャストが降りて演じていた。しかし、2階席からだとそれがほとんど見えない。銭湯の女湯から聞こえる声を聞いて妄想する男子のごとく、2階席に座った場合、キャストの声のみで階下で何が起こっているのか“妄想力”を発揮しなくてはならないのだった。

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