『アリスと蔵六』第1部総集編 そういえば大塚明夫が「ただのじいさん」 を演っているのは貴重だ
2017.05.08
世界中のあらゆる『ふしぎの国のアリス』『鏡の国のアリス』本を収集しているたまごまごです。トーベ・ヤンソン版とIassen Ghiuselev版がオススメ。紗名が出会ったのが内気な数学者じゃなくてよかったのかなあ、とか考えながら、『アリスと蔵六』(TOKYO MX)全話レビューしていきます。*ここまでのレビュー
■「第1部特別編」大塚明夫、貴重な「ただの爺さん」
今回はキリのいいところで、キャストとともに第5話までの内容を振り返る特番。
樫村蔵六役の大塚明夫が、ただのじいさん役ははじめてと感慨深そうに語っていたのが印象的だった。
大塚明夫といえば『メタルギアソリッド』シリーズのスネークや『攻殻機動隊』シリーズのバトー、『Fate/Zero』のライダーをはじめ、『ジョジョの奇妙な冒険』のワムウに『戦国無双』本多忠勝と、全然普通じゃないマッチョなキャラばっかり。
彼が(あるいは蔵六が)紗名(さな/演:大和田仁美)がかわいくって仕方なくなってきている、というのはニヤニヤですね。
本稿でもこれまでの展開を、改めて整理してみます。
■ばっさり簡潔に、を楽しむ
『アリスと蔵六』は、目の前の現象は実存なのか、自我の境界線はどこで生まれるのか、生命ってなんなのか、人間ってなんなのか、うんたらかんたら〜なネタをギュウギュウに詰め込んだ作品。
テーマが哲学めいていて、えらい難しい。
それをばっさりと明快に、ただのじいさん・蔵六の一言でぶった切るのが、第一部のメインだった。
世の中は複雑だし、わかんないことはいっぱいある。でも生きていく中で、厄介な疑問なんて別に考えなくていい。できることだけやれ。
蔵六「なあ紗名、お前人じゃなかったって、それがなんなんだ。バカなことぬかすな。いいから一緒に帰るぞ」「お前が何者だろうが、しんどい時は誰かと一緒に居るもんだ、無理すんな」(4話)
このセリフに尽きる。人間じゃなくても「紗名」っていう存在なのだから、それで十分。
実際蔵六みたいなおじいちゃんいたらいいよなあ……と思う反面、いたらいたで厳しいので、子ども視点だと面倒くさそうな気はする。基本は頑固だ。
しかし、優しさとは「ダメなことはダメ」と、揺るぎない思想できつく言ってくれること。ここがはっきり描かれているから、蔵六の言動は安心して見ていられる。
■セカイ系の反対
『新世紀エヴァンゲリオン』『最終兵器彼女』『ほしのこえ』をはじめとして、自分たちの悩み=世界規模の問題、となる作品を00年代にセカイ系と呼んだ。最近言わなくなりましたね。
『アリスと蔵六』は、世界を歪めかねない能力を持った「アリスの夢」問題と、子どもとしての紗名の成長が並列に描かれる。
パッと見セカイ系っぽい。だが、アプローチは真逆だ。
もともと、紗名自体は世界に影響を及ぼす存在。彼女の悩みひとつで、世界がひっくり返りかねない。
けれど、どうでもいいじゃねえか、と言って蔵六は紗名を日常レベルに引きずり下ろす。
物事をでかく考えるな、という客観的な視点だ。
一方、夫を生き返らせたい”ミニーC”・タチバナ(演:能登麻美子)の派手な破壊行動は、かなりのセカイ系な思考に基づいているようだ。
自分の問題で視野がいっぱいになり、それが世界の全てになってしまった。
もっともこの作品(特に原作)のメインは、思春期前の、自我が固まっていない子どもたちの方。
成長するにつれて、インナーな問題も世界レベルの問題も、ややこしくせずに全部クリアになっていく前向きさが、醍醐味になっていくはず。1部がそうだったから、2部も期待してます!