【シリーズ「ももクロと、おやじノフたちの現在地」case.06】

「『I love MOMOCLO』と自己紹介し、物販に毎回10万円費やす四十路ノフの『ももクロ狂詩曲』」マルさん(39)の場合

2015.10.06

2011年3月の“伝説の3回まわし”ZEPP東京

 金もある、仕事もある、時間の余裕もある……そんなアラウンド40から50な男性たちを虜にし、大量の“おやじノフ”を生み出した、ももクロこと「ももいろクローバーZ」。2012年にはデビュー以来の悲願だった『NHK紅白歌合戦』に出場し、14年には国立競技場ライブも成功させ今夏はエコパアリーナ2days、またクリスマスには軽井沢スノーパーク3daysライブを予定するなど、今まさに栄華を極めたといっていい。

 だが、どんな季節にも終わりはくるもの。やがて訪れる「ももクロの終わり」を、おやじノフたちはどう考えているのか。そして、彼ら自身の“推しごと”の行方は?

 シリーズ「ももクロと、おやじノフたちの現在地」。総勢10人のおやじノフたちに、モノノフとしての始まりと終わりを語ってもらった。「ももいろクローバーZ」とモノノフの間には、何が存在していたのか。そしてそれは、今後どうなっていくのか。アイドルが与えた「夢」の実像が浮かび上がる──。(取材・文=関口ヒサヨシ)

case.06●ニックネーム「マル」の場合

年齢/39歳
家族構成/独身
職業/会社員

 9月半ばとはいえ、氣志團万博当日の袖ヶ浦は午前中から気温が上昇し、四十路ノフにとっては楽ではない1日だった。その日、数人のノフに声をかけインタビューのお願いをした。その中の1人が杏果推しのマルさんだった。初対面のときは、まさかそんなふうには見えなかったのだが……。

 * * *

――先日はお疲れさまでした。氣志團万博は何回目だったんですか? モッシュとかにも混じったりするんですか?

マル 今回で3回目です。初回のときはももクロの存在を知りませんでしたから。モッシュはさすがに入れないですね(笑)。

――そもそもモノノフになったきっかけはなんだったんですか?

マル 13年の日産の前くらいですけど、友だちにももクロ好きなヤツがいて、いっつも「ももクロはいいよー、ももクロはいいよー」って呪文みたいに推されてたんです(笑)。でも、その頃ボクはAKB48が好きで、っていっても歌が好きなだけで、ライブも握手会も行ったことなかったんですけどね(笑)。ライブはロックフェスばかり行ってたんです。で、その友だちに誘われてYouTubeとか見てたんですけど、ホントにどハマりしたのは、日産のライブですね。

――どの辺にハマったんですか?

マル バラエティーを見てる限りでは、正直、あれだけパワフルなライブをするとは思ってなかったんですよ。それと、「ウリャ! オイ!」っていう会場の一体感ですね。「ああ、こんなふうにやるんだ」っていう。そしたら、大好きな元BOØWYの布袋が出るじゃないですか! どういう接点なんだよって(笑)。当時は布袋が、ももクロに曲をプロデュースしてるなんて知らなかったんですよ。

――それまでにもアイドルにはまる素養というのはあったんですね。

マル そうですね。小学校の頃はおニャン子や浜崎あゆみだったりが好きでしたから。

――じゃあ、その友だちがももクロを推してくれたときに、「いい歳して」という違和感はあまり感じなかった?

マル 友だちに関しては、それはそれでいいなと思ってたけど、それを自分が受け入れられるかっていうと、葛藤はかなりありましたよ。ライブ会場に行くのも、ちょっと抵抗あったかな。なんかこう、恥ずかしいっていうか……。ロックのライブとは違いますからね(笑)。バラエティーばかり見させられて、曲をほとんど知らない状態だったんで、歌っていうのが結びつかなかったんですよ。ウチから西武ドームまで30分くらいなので、春西武の時もその友だちに「音漏れ行こうよ」って誘われたんですけど、断りましたから。

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