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【新連載】"アニメ”と”歴史”を創るアニメスタジオ【第1回/前編】

経営主導主義が作家性を育んだ!日本のロボットアニメを牽引したサンライズの歴史

2014.01.04

『サンライズアニメ大全史』(1997年)に収録されているインタビューにおいても、前サンライズ代表取締役社長の吉井孝幸は、「スポンサーの希望をある程度満たせば、自分たちの作りたいものが作れる」「サンライズの作品は、クリエイターの作家性や主張を色濃く反映していなければならない」という気風が社内にあると言及している。

 例えば『伝説巨神イデオン』(1981年)制作時、まず玩具メーカーとサンライズの間で主役ロボット・イデオンのデザインを完成させた段階で監督の富野由悠季が企画に参加したそうだ。だが、肝心のイデオンを「酷いデザイン」と感じた富野は、そのデザインに耐えうる展開をめざし「第六文明人の遺跡」を考案し、「イデオンを巡って対立する人類が全滅する」というハードで作家性の強いストーリーを考案し、それが通ってしまったというエピソードがある。

 このようにサンライズは初期から、まずスポンサーのオーダーと外注スタッフであるクリエイターのせめぎ合いが存在し、その結果作家性と商業性を兼ね備えたハイブリッドな作風を持つアニメが数多く生まれる土壌を育んだと言える。

 さてそんなサンライズスタジオだが、当初は創業スタッフに資金力はほとんどなかったため、旧虫プロで音響を担当していた東北新社との共同出資で、企画・営業を担当する株式会社創映社を設立。この頃、創映社が企画した作品は、『ハゼドン』、『勇者ライディーン』、『超電磁ロボ コンバトラーV』など。同社企画のアニメの制作協力という形でサンライズスタジオは名を連ねている。

 そして1976年11月には、株式会社日本サンライズに社名を変更。翌年10月より、日本サンライズ初のオリジナル作品『無敵超人ザンボット3』の放送がスタート。荒唐無稽な要素の多かった従来のロボットアニメから一線を画す、ハードでリアルな人間ドラマで華々しいデビューを果たした。

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