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映画『i-新聞記者ドキュメント-』森友、加計学園から辺野古基地移設まで? 望月衣塑子 × 森達也が、同調圧力や忖度の正体に迫る!

2019.11.16

 新聞社や出版社、テレビ局といったメディア側からの激しいバッシングを受けた一個人に、森という一人の表現者がカメラを抱えて寄り添い、メディアが報道していない事柄を細やかに記録して、最終的に映画というメディアの力で問題の本質を世に問う手法から、筆者を含む幾多の表現者たちは数多くのことを学んでいった。

 ところが、『i-新聞記者ドキュメント-』では、過去作の揺るぎない構造に捻じれが生じてしまったかのような錯覚と、戸惑いを覚えずにはいられない……。

 それは、手負いの強敵として描かれてきたメディア側の新聞記者が、本作ではヒロインとして登場するからだ。

 しかしながら、この程度のことで森に対する作家性の変節を唱える人はセンスがない。

 映画の冒頭から在京の大手新聞社ではなく、中日新聞社が発行する『東京新聞』の望月と連呼する姿が効果的に描かれており、さらには、否が応にも男性記者が大多数を占める分野で、夫と子育てや家事を分担し、共働きで新聞記者を続ける女性像が共感を誘い、序盤から終始一貫したヒロイン像が提示されるのだ。

 そして、この明確なヒロイン像こそが、新聞社というメジャーな報道機関に身を置きつつも、取材現場でマイナーな扱いを甘受してしまう望月と、フリーランスという極めてマイナーな地点に立脚しながらも、メジャー級の問題作を次々と発表してきた森の取材姿勢との対比を、鮮明に打ち出してくれるのだった。

(C) 2019「i-新聞記者ドキュメント-」製作委員会

 望月が様々な取材先で、「納得のできる答えを頂いていないので、繰り返しています」と追及し、目立てば目立つほど、それらの特異点から排除される様子が執拗に描かれていく。その一方、森は望月の真骨頂とでも呼ぶべき、首相官邸で行われる官房長官の記者会見に狙いを定め、必ずや映画のキャメラで記録しようと奔走するのだが……。

 本作を例えるならば、ノンフィクション作家・沢木耕太郎の大宅壮一ノンフィクション賞受賞作『テロルの決算』の読書時に感じた、61歳の野党政治家と17歳のテロリストの、人生の一瞬の交差にも連なる、とてもスリリングな結末を想起せてくれる作品なのだ。

 実のところ、筆者は映画評論を執筆するつもりなど微塵もなかったが、数多の映画ファンに本作の魅力を上手く伝える方法はないものかと、この数日余り頭を悩ませていた。なので、この先はとても個人的で映画ファン特有の独りよがりな文章で締めくくらせて頂ければと考えている。

 その昔、松竹ヌーヴェルヴァーグの旗手と呼ばれた映画監督・大島渚は、1961年の松竹退社後にATGや海外資本と提携して『絞死刑』『儀式』『愛のコリーダ』などの問題作を発表。
佐藤慶、戸浦六宏、小松方正、さらには藤竜也といった、どちらかといえば印象の暗い、個性派俳優たちを好んで配役していた。

 ところが、1983年に『戦場のメリークリスマス』という大作映画を監督した際には、デヴィッド・ボウイ、坂本龍一、ビートたけしといった、いわゆる同時代的なカリスマをメインキャストに抜擢して、作品もロングランヒットを記録した。

 地元の名画座で背伸びして鑑賞した大島の特集上映で、ATG時代の作品などを鑑賞して大島のファンになっていた筆者は、『戦メリ』の配役を知って驚いてしまった。

 今回、『i-新聞記者ドキュメント-』の試写後に、ふと想い出したのが、大島渚監督の『戦メリ』なのだ。

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