【コラム】

【献血ポスター問題】「やっていいことと悪いことがある」の一言に尽きる。陣取り合戦となったフェミVSキモヲタの泥仕合

2019.10.28

日本赤十字社公式サイトより

 一週間くらいで終わるかと思っていた日本赤十字社の献血ポスターの問題が、まだ継続しています。これも発端となったポスターに使われている作品『宇崎ちゃんは遊びたい』の作品力によるものでしょうか。

 ネットでのつばぜり合いのほかは、せいぜい抗議メールとか電凸程度しか現実の行動は存在しないので、世間でも僅かな人しか、このフェミVSキモヲタの戦いは知りません。この戦いがあたかも人類史の最終決戦のような決意でつらつらと書き連ねている人は多いのですが、世界的な動乱の気配はまだありません。

 この問題、根本的には「やっていいことと悪いことがあるだろう」に尽きます。この問題はずっと以前から存在するものです。2010年の東京都青少年健全育成条例改定をめぐる時もありましたが、権力から「言論/表現の自由」を守るとしても「やっていいことと悪いことがあるだろう」は確かに存在します。たとえば、筆者がここで原稿を書くときも民族や宗教、そのほかを弄り倒したりすれば怒られますよね、当然。

 でも困るのは「やっていいことと悪いことがあるだろう」のラインが不明確なことにあります。世の中にはBLが好きな人もいれば、嫌いな人もいます。ロリコンだってそうです。今回の問題も、その線引きをめぐる争いにほかなりません。

 ただ、ここで頭が痛いのは、論争に参加することのできる人の線引きもできないことです。

 SNSが普及する以前であれば、まず発言を掲載してくれるメディア、あるいは集会を開いて人を集める実行力など「立ち位置」を固めなければ、論争への参加は困難でした。ところが、SNSの普及により立ち位置のない人までもが、すでに何者かになったかのように発言するようになりました。

 仄聞したところですと、最近は東京都の不健全図書指定の審議会に興味を持っている方々が「出版業界の人の発言が気に入らないから、話し合いの場をつくるべき」なんてことを主張したりしているといいます。これは立ち位置を見失ったというか、「モンスター消費者」かなんかなのでしょうか。

 さて、そうなってくると激化するのは陣取り合戦です。SNSでこうした論争をしている人たちの意識は共通しています。すなわち、未来永劫、現在の社会システムが継続していくという前提で、その社会の中で自分たちが多数派として主導権を握るということです。

 今回の献血ポスターの件も、「環境型セクハラ」と反応して炎上した女性弁護士が立憲民主党を支持する「リベラル」でした。でも、そんなのは関係ありません。

 実は対立しているフェミと称する人々もキモヲタも、どちらも「体制メンテナンス派」に過ぎないのです。

 既存の体制を疑うどころか護持するとことから、新たな文化は生まれるはずもありません。フェミもキモヲタも結局は、滅ぶべき体制の一部ということは、少し考えれば自ずと見えてくるのではないでしょうか。
(文=昼間 たかし)

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