京アニを「麻薬の売人以下」呼ばわりした大阪芸大・純丘曜彰教授 京アニが放火されたのは自業自得とでも言いたいのか

2019.07.25

「終わりなき日常の終わり:京アニ放火事件の土壌」(「INSIGHT NOW!」より)※現在は削除済

 34人もの犠牲者を出した京都アニメーション放火殺人事件から1週間が経った。亡くなった34人全員の身元も特定され、今後「あのアニメーターが亡くなった」という報道がされていくのかと思うと、胸が痛む。

 その中で、京都アニメーションのことを「麻薬の売人以下」呼ばわりしたコラムが発表され、多方から怒りの声が噴出している。

 ビジネスメディア「INSIGHT NOW!」に掲載された「終わりなき日常の終わり:京アニ放火事件の土壌」。<あまりに痛ましい事件だ。だが、いつか起こると思っていた。予兆はあった><アイドルやアニメは、そのマーケットがクリティカルな連中であるという自覚に欠けている>という書き出しで始まるこのコラムを書いたのは、大阪芸術大学の純丘曜彰教授だ。

 純丘教授は京アニについて<一貫して主力作品は学園物なのだ>と断言。押井守の『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』を引用し、京アニについて<終わりなき日常というモティーフは、さまざまな作品に反復して登場する>と説明する。その例として、『らき☆すた』の最終回第24話、『涼宮ハルヒの憂鬱』の「エンドレスエイト」などをあげていた。

 その背景には、<京アニという製作会社自体が、終わりなき学園祭の前日を繰り返しているようなところだったからだろう>と分析。そして、京アニが描く「学園物」について<この中高の共通体験以上の自分の個人の人生が空っぽな者、いや、イジメや引きこもりで中高の一般的な共通体験さえも持つことができなかった者が、精神的に中高時代に留まり続けるよすがとなってしまっていた>との持論を展開していた。

 その後、京アニと京アニのファンを<夢の作り手と買い手>と例え、<彼らがいつまでもおとなしく夢の買い手のままの立場でいてくれる、などと思うのは、作り手の傲慢な思い上がりだろう><いつか一線を越えて、作り手の領域、作り手の立場にまで、かってに自称で踏み込んでいく>との論説を繰り広げていた。純丘教授にとって、京アニのファンは犯罪者予備軍なのか?

 そして、<偽の夢(絶対に誰も入れない隔絶された世界)を売って弱者や敗者を時間的に搾取し続け、自分たち自身もまたその夢の中毒に染まる>京アニについて、<麻薬の売人以下>と言い捨てていた。京アニが放火されたのは自業自得だとでも言いたいのだろうか。 

 このコラムは一度非公開になり、大幅な修正をしたのち再び公開されたが、大炎上を受けて修正後の記事は削除された。だが、オリジナルの記事はウェブ魚拓が残っており、現在も閲覧できる状態だ。

 そもそも、京アニ放火殺人事件の犯人の意識は戻っておらず、事件の全容は明らかになっていない。犯人の動機も不明確である中、決めつけと臆測でここまでの暴論を展開できる純丘教授の気がしれない。

 なお、削除されたが修正後のコラムにも「1973年の手塚プロダクションの瓦解」という一文が残っていたが、この年に倒産したのは虫プロダクションのほうだ。レベルの低い煽りにエネルギーを費やす必要はないだろう。

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