異常な幼女の可愛さに幸せな気分!『うちの娘の為ならば、俺はもしかしたら魔王も倒せるかもしれない。』
2017.03.28
『うちの娘の為ならば、俺はもしかしたら魔王も倒せるかもしれない。』(メディアファクトリー)は、CHIROLU氏によるHJノベルズの小説のコミカライズであります。
この作品、久々に「やべえ、原作も買わなきゃ」と思わせるハートフルな破壊力を持っており。久々にヤラれた感じがするではありませんか。
物語は、冒険者の子育て奮闘記といったところ。
同業者からも一目置かれている冒険者・デイルは、依頼で訪れた森で親を失ってやせ細った魔族の少女・ラティナに出会います。そんな少女を連れ帰ったデイルが、ラティナを娘として育てていくのが、この物語です。
この物語の特徴は、異常な「いい人の多さ」です。まず、デニスが下宿する宿屋兼酒場を営むケニスとリタの夫婦は、デイルに劣らずラティナに愛情を注ぎまくります。
この世界、冒険者は憧れの職業ではあるものの、少し恐ろしい存在に見られている様子。ところが、そんな荒くれ者たちも、自分から酒場の仕事を手伝ったりする少女の姿に、ほっこりとしてしまうという具合。なんとも、優しい世界が展開しまくるのです。
いろいろと重い過去もあったりしそうな様子ではありますが、ラティナが超絶いい子。必死に人間の言葉を覚えようとしている姿とか、お手伝いをしている姿とかに、いちいち、よい大人が感動しまくるというわけです。そんなよい娘なんだから、親の気分になるのは当然のことでしょう。
この可愛さ、ともすればなにか裏があるんじゃないかとも思ってしまう。それくらいに、振り切れた可愛さを振りまくラティナに、よい大人たちが、本気でほっこりしまくる。その姿を楽しむのが、この作品の楽しみ方です。
やり方によっては、あざとくなってしまいそうなほどに、ラティナの可愛さは描写されます。だって、いくらなんでも素直な子ども過ぎるじゃあないですか!
でも、そうしたところにツッコミを入れる隙を与えない構成になっているのが、本作のよさ。きっと、作品に関わっているのが、みんなよい人なんでしょう。
こんな娘に「もっといっぱいすき」と言ってもらえるデイルの姿を見るにつけ、善行は積んでおこうと思いました。
(文=大居候)