「日本テレビジョンって、日本テレビじゃないですよ」 古川タクが草創期にリアルタイムで体験したイラストレーションやアニメーション業界事情

2016.08.31

 8月22日、広島市のJMSアステールプラザにて、アニメーション作家、イラストレーターであり、日本アニメーション協会会長の古川タクが登壇し、「古川タクQ&A」が実施された。このQ&Aも第16回広島国際アニメーションフェスティバルの一環。公式プログラムに掲載されているのは、大・中・小の3ホールで行われるもののみで、会期中は突発的にイベントが発生するのが恒例になっている。

写真:国際審査委員の記者会見にて古川タク

 Q&Aの会場は来場者が持ち込み上映を行えるフレーム・イン。古川は今回、各受賞作品を決定する国際審査委員の1人であった。会期中は国際審査委員の作品上映とトークイベントの枠もあるが、前日21日の「日本アニメーション大特集15」でも、古川タク特集としてその枠が組まれていた。

 仕事を始めたキッカケを尋ねられた古川は、「ちょうど僕らが子供から大人になっていく時代ってのは、戦後の手塚マンガとか貸本マンガとかから始まって、高校生くらいの時に外国の1コママンガとかが入ってきたんですね。川本喜八郎さんとかの先生でもある『アサヒグラフ』の編集をしていた飯沢匡さんが興味を持っていて、いち早く日本のジャーナリズムに外国文化というかユーモアを取り入れてました。『週刊朝日』とか『文藝春秋』のようにマンガと軽いエッセイとか、星新一さんや筒井康隆さんが書くような小説が載る月刊誌があったんです」と、時代背景から説明。

「そんな勢いがあったなんて今では信じられないんですけど、そこには投稿マンガなんてのもあって、そこから実際に色んなマンガ家が出てきたんですね。いわゆる長編マンガじゃなくて、大人向けの1コママンガみたいなのが小説などと同じ感じで文化的なものとして扱われてた時代がありました。ある時期から久里洋二さんなんかは、そうした雑誌のスターになっていて、それを中学・高校時代から見てました。そんな感じでスタートしてるので、マンガもアニメーションもやりたかったし、イラストレーションもやりたかったんです」(古川)

写真:今回は「クリヨウジ展『クレージーマンガ』」のフロアも

 当時、日本にイラストレーションという言葉はなかったという古川。「イラストレーション入門みたいな本が出始めたのは、大学を卒業してからでした。『何だイラストレーションって。挿絵とどう違うんだろう』」と思っていたとか。

 古川は久里洋二実験漫画工房に入る前、TCJ(現:エイケン)にいたことでも知られている。「3年生、4年生になるとみんな就職とか言い出して、決まった人らが急に『我が社は云々』って偉そうなこと言うから、僕もそろそろどっか受けなきゃいけないかなと思って、日本テレビジョンっていうCMを作っている会社、日本テレビじゃないですよ、後のTCJの試験を受けたんです。何故かって言うと、モノクロの色んなCMが面白くて、そういうことをやってみたいなと思ったんです」と振り返った。

「今みたいにテレビの番組が埋まっていませんから、空いた時間にチェコのアニメーションを放送していたりしたんですよ。次の時間が来たらパッと途中で切れてニュースとかが始まっちゃうんですけど、そういうとこでやってたアニメーションが結構あったんですね。それでTCJってとこに入ってテレビCMみたいなのをやるのかと思ったら、ちょうど『鉄腕アトム』が始まったばかりで、その次に『鉄人28号』『仙人部落』『エイトマン』が3つ同時にスタートするとこだったんですね。それで入ったと思ったら『鉄人28号』の班に配属されて『そんな素人に描かせていいのか』って思うじゃないですか。もちろん東映動画とかから引き抜かれた上手い人たちがいて、彼らとは関係なくモブシーンとか何を描いてるか分からないとこのアニメーションをやりましたが」(古川)

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