『アオイホノオ』から20年後の大阪芸大生は今?『ロボットガールズZ』監督・博史池畠インタビュー【前編】

2014.11.26

――7月期にテレビ東京で放送されたドラマ『アオイホノオ』のBlu-rayとDVDが、11月19日に発売された。本作は島本和彦さんの同名マンガを原作としているが、“ダイコンフィルム”の制作など、島本さんが大阪芸術大学に在学していた1980年代初頭の時代背景や出来事が盛り込まれた作品として注目を集めている。

 その時代から20年後、とある人物が大阪芸大に在籍していた。後にアニメ『ロボットガールズZ』の監督となる男、博史池畠さんである。今年、その『ロボットガールズZ』でアニメ監督デビューを果たした池畠監督に、改めて自身の在学中の出来事について語ってもらった。

大阪芸術大学出身のアニメ監督・博史池畠氏。

■映画監督を目指して入学のはずが……? SF研究会でアニメの洗礼

池畠「『アオイホノオ』は、その当時と僕がいた時と(大学の)雰囲気が全然変わってないですね。『仮面ライダー』の仮面をカブってる人【註:マンガ版高橋のこと】がいてもおかしくないですし、いたとしても(馴染んでて)みんなスルーしてる感じが。どうやらこの人は大阪芸大の卒業生だったらしいとか、庵野監督よりずっと下の、比較的僕らと近い世代の先輩たちには卒業後に業界で出会ったりしたんですけど(池畠監督が演出で参加した『アクセル・ワールド』の監督・小原正和さん、『生徒会役員共』の監督・金澤洪充さんなど。ちなみに前述の『ロボットガールズZ』のシナリオライターである兵頭一歩さんも大阪芸大出身である)、庵野監督くらいになると遠すぎて伝説的なものでしかないですね。あ、でも南雅彦さんにはボンズで働いてた時にお会いしました。恐れ多くて挨拶するのが精一杯ですけど(笑)。島本さんが大阪芸大の卒業生だったのを知ったのも、大学に入ってしばらくしてからでした。

 それまで(庵野監督の)『新世紀エヴァンゲリオン』とか人並みには見てましたが、『攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL』など、押井守監督作品とか見て『俺わかってる』的な意識高いオタクみたいなふりをしてたんです。でも大学に入る時はそこまでアニメに興味なくて、むしろ特撮に興味がありました。大阪芸大に入ったのも、映画好きな高校生が『将来映画監督になりたい!』って無謀な夢を思うじゃないですか。そんな感じだったんです。

 大学には学力で入った気がしなくて、AO入試みたいなもんですね。入試の時に4コマの絵コンテみたいなのを渡されて、わりと自分でも『これかなり面白くなった!』って思いました。入ったのは映像学科ですが、1学年150人くらいじゃないですかね。僕は2次試験で入ったので、席次は最後の10人くらいですけど。当時の学科長はイラストレーターの佐々木侃司さん(2005年没)で、酒を飲み過ぎて身体を壊して死にかけてるにもかかわらず、言うことなすこと面白くて大人気でした。途中で退いちゃったんですけど、僕らの中では“心の学科長”です。卒業式の時も『仕事が辛くなったら、皆さんお酒を飲みまくりましょう。飲みまくって身体を壊せば、しばらく仕事をしなくてよくなります』とか、すごいこと言ってたので(笑)」

 佐々木さんは小説『どくとるマンボウ』シリーズ(新潮社/著:北杜夫)の表紙などで知られている。特に“アンクルトリス”で知られるイラストレーター・柳原良平さんなどとともに、サントリーの宣伝部に所属していたことは有名だ。

 池畠監督が大阪芸大に入学したのは1998年である。現在、アニメーションコースのあるキャラクター造形学科が同大に開設されたのは05年で、当時はまだなかった。

池畠「入学した時もアニメーションコースというよりは、アニメはすごく細分化された中の1つでしかなかったです。映像学科に映像コースと映画コースがあって、映像コースの中でさらに広告と映像表現に分かれて、映像表現の中に実験映像とかアニメーションとかって感じです。今はキャラ造(キャラクター造形学科)があるんで有名な人が教えにきてますけど、僕らの時は好き勝手にやってました。アニメーションの授業もパラパラマンガを描けば終わりでしたし。

 サークルはSF研究会(以下、S研)に入るんですけど、(“SF”は)名前だけで特撮とかCGやってる映像サークルだったんで、そっちのほうがいいかなって。映画監督になりたいと思ったんですけど、大学に入っていくつかの変化があって、実写は人間関係とかで異様な面倒くささがあるなと。知り合いが『エヴァ』世代で入ってきた人ばかりだから、アニメオタクが多くて……しかもアニメが好きなんじゃなくて、作るほうに興味がある作画オタク。その人たちに洗脳されたりしました。最初は『金田(伊功さん)のアニメ』って聞かされて『カナダのアニメですか?』ってくらいだったのが、2年後くらいには『このアニメーターの作画は……』ってドヤ顔で語る男になってました(笑)。

 当時はデジタルでアニメを作り始めた時代で、学生でも簡単に作れる走りだったじゃないですか。『何か1人でアニメ作れるみたい』って感覚があって、『アオイホノオ』でも描かれてますけど、みんな自分で監督やりたくて仕方がない人たちばっかりなので、『各自で役割を決めなきゃならない実写よりもアニメのほうが楽しいよね』って。アニメに対する偏見みたいなのも、夕方にテレ東でアニメやってるし、大阪では朝に昔のアニメの再放送もやってたし、ニチアサも『おジャ魔女どれみ』だし……で、ガンガン見てなんら抵抗がなくなりました」

編集部オススメ記事

注目のインタビュー記事

人気記事ランキング