1960年代には、若くたくましい男性が全裸に近い姿態で踊るなんていうことは、前衛舞踏家しかいなかったから、波賀九郎さんの目が彼らに向けられたのは当然のことだろう。
ましてや女性が舞台で全裸になるなんてことは、当時としては考えられないことだった。それにミカは世田谷区立の中学校の保健体育の教師だったのだ。どこで漏れたのか、週刊誌の記者がM中学校を訪れて、校長に面会し伊藤先生が舞台で全裸で踊るそうだけどどうお考えですかと質問したのだから職員室はもちろん、PTAの役員会も開かれ大騒ぎになってしまった。
校長は世田谷区の教育委員会に相談に行ったが、返答をもらえず、東京都の教育委員会にまで話を持ちこんでしまった。
当然、ミカは都の教育委員会に呼ばれたがまだ公演はこれからの話で、全裸になったわけではない。都の教育委員会が決定したことは公務員がチケットを売って公演を開らくことが公務員法に触れるということだった。
結論としてそれしかなかったのだろう。教員で画廊で個展を開いて絵を販売している人もいるし、家庭教師をやっている人もいる。妙な言いがかりだった。
ミカは『オー嬢の物語』の舞台で、オー嬢を完全に演じるには全裸しかないと、くさりにつながれて、後ろ向きではあったが全裸になった。石井満隆さんが、消化器をもって踊り、全裸のミカに射精を象徴して、白い液を吹きかけた。このシーンは見るものを驚かせた。
その頃のぼくは同性愛のことなど、まったく意識になかったが、今、考えてみるとミカの舞台を支えてくれた人たちのほとんどがゲイの人だった。
その時代は女性が裸になることも珍しかったが、共演の男性の裸体を見にきてくれた人も多かった。
赤坂のTBSの裏手の方にあって、マンションの地下1階にあり、黒川紀章さんの内装で話題になったクラブ「スペース・カプセル」。
アメリカの宇宙船が月の世界に降り立って話題になった頃だ。天井も壁もピカピカのステンレス。椅子は真っ黒な黒革。天井には次々と色が変わる電球がたくさんついていて、まるで宇宙船の中にいるようだ。
若い山名雅之さんが社長で、石原慎太郎さんとは友人で、仲人も石原さんだった。
前衛芸術家をショーに参加させるなんてことはなかった時代だから、山名社長は先見の明があったということだろうか。
開店1週年のショーのチラシがある。月曜が「SEXOLOGY 宇野亜喜良 辻村ジュサブロー+魔奴学派」。火曜は大正常の愛の物語“腔内学”企画・土方巽/映像・一村哲也。水曜・タングステン・ヒューズ氏とバラ色・ダンス派。木曜・土方巽と肉製舞踏即売展・デシュアン形舞子棚総。金曜・“静かの海”の恐怖・伊藤ミカ・ビザール・バレエ・グループ。土曜・Hey Happy Girll・竹村類・安田南・福島昌子・中村タヌコ。
タイトルを見ただけでは、どんなショーなのか分からない。ぼくはミカのショーの照明係をやっていたから見ているが、他のショーはどんなことをやっていたのかは分からない。
当時はテレビの取材はなかったが、とりあげてくれるのは週刊誌のグラビア頁だ。ミカのショーが一番週刊誌のグラビアにとりあげられていた。
波賀九郎さんも「スペース・カプセル」によく写真を撮りにきてくれていた。男のセクシーさ、男の魅力に迫った写真を撮っていたのは波賀九郎さんだけだった。
(文=伊藤文學)
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