薔薇族だった時代 ~競パンフェチの全てを理解した唯一無二の人

2020.02.20

 第二書房の薔薇族編集部を退職してから、店売りの体育会系ビデオで大ヒット作品を連発していた時代に、私はペンネームで薔薇族の企画ページに原稿提供もしていた。

 その当時(平成10年頃)の薔薇族は、紙面約570ページで、2.5㎝の分厚さでかなり重かった。そのうちカラーグラビアページは50ページもった。

 伊藤文學編集長が掲載写真がないかと困っていたので、私は相互利益を考えて自社ビデオタイトルのクレジットを入れて頂くことで、 写真を提供させて頂けないかを提案した。何時もフレキシブルな伊藤文學編集長は、即承諾してくださった。こうして私のグラビアを筆頭に薔薇族ではビデオメーカーのグラビア掲載が流行になっていった。

 私が薔薇族グラビアに提供していた写真の多くは、現役の大学水 泳部員やライフガードの大会に出場するベルの選手たちだった。現役選手のはち切れんばかりの競パン(競泳パンツ)姿の写真ばかりだったのが、他社になかったためすこぶる評判が良かった。

 そしていつの頃からか「津田広樹」イコール「競パンフェチの全てを理解した唯一無二の人」が、 薔薇族読者の語り草になっていた……その噂が文字化されたネッ トの書き込みを自ら読んだ時の感動は、今でも忘れていない。

 元々アイドル歌手を撮影していた私は、スポーツ選手の美しい筋肉やセクシーなもっこり姿を雑誌する事に誰にも負けない自信を持っ ていたので、カラーグラビアにも映像作品にもそれを活かせたと確信している。今でもその経験を生かして撮影は継続している。

 伊藤文學さんに「津田君が、薔薇族に提供してくれた水泳選手の写真が素晴らしかったから若い読者が増え続けてくて薔薇族がトップの売上を継続できたんだよ、それは有難いことと思っている」と言って頂けて頑張った時代が報われたと思えたのだ。

 伊藤文学さんお墨付きの「津田広樹写真集・令和電子版」や画像の様な競パンにご興味ある方は、下記の津田・・・から始まるアカウ ントのTwitterを是非ともご覧頂きたい。

【津田広樹プロフィール】
 いわゆる80年代アイドル全盛の時代にスチール撮影のみならず、その多才さを認められてグッズ等の企画発案にまでもマルチな才能を発揮したキャリアをもちながら、あらたなる新天地として当時の有力ゲイ雑誌であった薔薇族の出版会社に編集部員として転身。その後もさらにその非凡なる才能の昇華は衰えを知らず、グラビアや企画ページ等にも幅ひろく手腕をふるい、多くの絶賛を得るまでにおよぶ。そして1996年にはゲイ業界初の試みであった3D写真集付き映像ビデオ、ジャック・リードを発売し世に送り出した。
 さらにオリジナル競パン付きDVDの発売など革新を起こし続けるも、無断配信に苛まれ、2018年に全ての映像ソフトのレーベルを手離す。しかし長年ににわたり不変的な価値観を持ち続ける津田広樹の世界観は色褪せることのなく、その真価を現在も世に問い続けている。

津田広樹Twitter
@Wi08XKZE10Vb5rx

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