薔薇族の人びと ~楯四郎編 僕が書くのは、僕自身の遊びなんです

2020.01.27

浅草怨念歌/楯四郎

 読者からの反響を読んで、楯さんはどんなにうれしかったことか。早速、「作者から読者へ・楽しみながら書いています」の一文を4月号・NO27に寄せてくれた。

「『薔薇族』は嬉しい雑誌です。本職の作家なら読者と誌面で対話することなんかできないでしょうが、僕は素人だし、それのできるところが、この雑誌の良さでしょう。だから『薔薇族』は、僕にとって嬉しい雑誌なのです。

 いわゆる玄人筋からの評判は、これまで聞いたことがありましたが、僕の書いたものについて一般読者からの反応は、ほとんどありませんでした。それが3月号の「こだま欄」で、東京の一ファンの方の文章を拝見し、しかも僕の作品を全部読んで下さったと知って、すごく嬉しくなっちゃいました。

 生まれて初めて小説みたいなものを書いたのが「弁天小僧」。たいして期待もせずに第二書房に送ってみたら、半年ほどして活字になったのが病みつきです。原稿用紙のマスを一つ一つ埋めて行く楽しさを三十過ぎになって知るなんて、思いもよらないことでした。もしも『薔薇族』がなかったなら、僕もものを書くことはなかっただろうし、書く楽しさを一生知らずに終ったかも知れません。

 だから僕が書くのは、僕自身の遊びなんです。読者に大評判の作品を発表していらっしゃる笹岡作治氏のあのとてつもないエネルギーと、バイタリティを僕はいつも羨やましく思うのですが、その笹岡氏が言われる「若者のペニスを怒腸させる光栄」を僕の書くものは持ち合わせていません。だけど氏のおっしゃる現代の草紙作者でありたいという点は僕も全くの同感です。

 江戸時代「こんなものは遊びだよ」と自嘲しながら、実はちゃんと書きたいものは書いていた戯作者がいて、僕は彼らのゆとりに共感しながら、それらの草双紙を読んでいた時期があります。だから以前、志賀敦氏が僕のことを現代の戯作者の匂いがすると評されていたのを読んだとき、とっても面映ゆく思ったものです。

 僕は自分の遊びで書くなんて言うと、そんなものにつき合えるかって、怒られるでしょうね。また作りものの小説なんてうんざり、本当に感動するのは現実にあったことだけだという意見も知っています。

 でも僕は、徹底した作りものの世界に遊ぶ方が好きだし、同じタイプの人もきっといると思っていました。だから東京ファンの方の一文は嬉しかったし、それにベッドシーンは読むものよりも実際にするものだというご意見も同感です。

 あなたの評価は、素人作者の僕にとっては身に余るものですが、おっしゃる通り「忠臣蔵」はペダンティックになりすぎましたね。「忠臣蔵」をよく知らない人への不必要なおせっかいだったと思うので、第二話はさらりと仕上げるつもりです。

 この正月、平幹二郎氏が「シラノ・ド・ベルジュラック」を上演したとき、「ハムレットという山を登りつめたら、向うにシラノという山が見えた」と、うまいことを言っていました。

 僕は「浅草怨念歌」を書き終わったとき、もおうこれでやめようと思ったのですが、実はその向うに「忠臣蔵」という山がみえてしまったんです。

 その山をきわめる前に、今、小さな足ならしをしています。愚作「同棲の季節」の続篇みたいなものですが、これは原稿の一部を読んだ友だちに一笑されちゃって、ちょっと困っているのです。

 僕もサラリーマンの本業があるし、いろんな青年たちが訪ねてくるし、ハッテンバにも行きたいし、だから原稿書くのはいつも後まわしになっちゃいます。しかし、まだ不惑の年齢には少し間があるし、物を書く中毒になっちゃったみたいなので、これからもボツボツと楽しみながら書いて行くことになりそうです。

 小説の嫌いな人、僕の書くものが気にくわない人――ごめんなさい。」

 ぼくは楯四郎さんの本名も、ご住所も知らない。ぼくが出版した『浅草怨念歌』に略歴が記されている。

 楯四郎、昭和12年、東京深川生まれ。早稲田大学文学部国文科卒。会社員と『浅草怨念歌』(1993年・9月20日発行)

 ぼくは昭和7年生まれだから、楯さんお元気だったら82歳。60歳の定年の前にガンを患い亡くなっている。ニューヨークで英訳された本をベッドで手にして喜ばれていたと聞いたことがある。
(文=伊藤文學)

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