“生涯ドルヲタ”ライターの「アイドル深夜徘徊」vol.42

ドラマ『同期のサクラ』――高畑充希が描き出す“美しく生きること”の絶望感

 思えば、彼女が演じた役柄は、これらに限らず、どこか周囲に対して違和感を感じさせるものが多かった。『忘却のサチコ』(テレビ東京系)の、食べることに幸せを見出していく編集者、『ごちそうさん』(NHK)での、内気な自分を克服してアナウンサーにまでなる女性、『Q10』(日本テレビ系)での、ちょっと屈折した感情を抱いた、主人公の同級生だって、みんなみんな違和感を感じさせた。どちらかというとネガティブに感じる言葉かもしれないが、実は女優にとって「違和感」を感じさせるというのは大きな武器になる。それは、彼女が持っている根源的な才能と言ってもいいだろう。

 高畑充希のような女優が演じると、多少とっぴな設定やキャラクターでも、違和感があるがゆえに、自然に受け入れることができるのだ。今回演じているサクラも、その違和感そのものと言ってもいいくらいだ。水面に石を投げ入れた時、その波紋が広がっていくように、彼女の夢や思いが周囲に伝わる。まさに、「同期」たちが、それによって変わっていく姿は、象徴的だろう。

 前回放送の第9話では、事故から目覚めたサクラが、再起を果たし、花村建設副社長となった元上司の黒川(椎名桔平)から、「また一緒に働こう」と誘われるところまでが描かれた。エピソードを10年分積み重ね、目が覚めたところで「めでたしめでたし」ではないところが、また一癖ある。最終回、花村建設に戻ったサクラが、どんな状況に置かれるのかは注目だろう。

 大仰な言い方になるかもしれないが、今の日本が抱えている閉塞感のようなもの、そんな中で高畑充希という女優が生まれ、このドラマが作られた。それは決して偶然ではないと思う。「サクラのいない世界なんかに生きていたくない」。仲間がサクラに贈ったメッセージのひとつだ。それは、見ている我々の気持ちでもある。確かに、ドラマはフィクションだ。でも、高畑充希は確かに存在するし、こんなドラマを作って、こんな女性を演じられる女優がいる。そのことが生きていく上でのささやかな、でも確かな灯火になるような気がする。

 この作品は教えてくれる。強さというのは、壁にぶつからないことでも、間違いを犯さなさいことでもない。失敗して、つまずいて、絶望して、夢を失って、それでもまた立ち上がっていける、それが本当の強さだ。絶望を知らない人は、他人を思いやることなんてできない。そして、その絶望感を表現するには、確かな個性と演技力が必要なのだ。高畑充希はそれができる稀有な存在だ。絶望すればいい。諦めればいい。夢なんか叶うはずがない。ただ、それでも、生きなければならない。それが、このドラマの根底に流れるメッセージであるような気がしてならないのだ。

「桜」という花は、日本人にとって、句読点のようなものだ。毎年春になると、わずかな時期に咲く花を見て、季節がめぐるのを感じる。来年も、その次も、桜の花を見た時、「この花のように美しく、気高く生きる女性を描いたドラマがあったな」と思うんだろうな。きっと。

(文=プレヤード) 

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